カテゴリー「歴史・古代史」の記事

2016年2月23日 (火)

暗峠(くらがりとうげ)を歩いてきました/奈良・生駒 ~ 東大阪・石切

160221kuragaritouge00奈良と大阪を最短で結ぶ旧街道の「暗越奈良街道・暗峠(くらがりごえ奈良街道・くらがりとうげ)」を奈良・生駒~東大阪・石切までを歩いてきました。

2016.2.21()奈良県橿原考古学研究所の友史会の2月例会は、生駒・往馬大社を出発点に生駒山山麓の古代遺跡を見聞して「暗越奈良街道・暗峠」を越えて東大阪・石切神社までの道程がこの日の学習コースでした。参加者は140名余でした。今回のこのブログは、古代遺跡のことは無しにしまして「暗越奈良街道」のお話にいたします。

「暗越奈良街道」は現在は国道308号線で自動車の通行は可能ですが、道幅はいたるところで車幅いっぱいのところがあるむしろ「酷道」ともいえる道筋です。江戸時代では数ある奈良街道、伊勢参宮街道のうちの一つになります。

「くらがり」の名前の由来は、『木々がうっそうと茂るところの意味の“くらなり”からきている』とか、『道の勾配がきついため、馬の鞍が“仰向けに鞍返り”してしまうという』ことからとも言われているそうです。

江戸時代には奈良見物やお伊勢参りの往来で賑わっています。NHK朝ドラの「あさが来た」では、次のような話のシーンがありました

・・・あさの嫁ぎ先・両替屋「加野屋」の主の「正吉」が病で倒れて療養しているとき女房の「よの」に、『元気になったら、お伊勢参りをしよう。「暗峠」を越えて奈良の町に入り、そして榛原を越えれば伊勢はもうすぐ先やからな』と言っていました・・・
 

実際に峠越えを歩いてみますと話にある通りものすごい過酷な道のりでした。峠の標高は455m、最大勾配37%、平均勾配20%がそれを物語っています。往馬大社から石切神社までの全行程10㎞の内、暗峠道は4㎞でしたが、この日のエネルギーの90%はこの道のウオーキングで使い果たしてしまった感じでした。では、どのような道であったかを以下の写真でご覧ください。

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【暗越奈良街道を歩いた行程】・・・歩いた行程10㎞、その内、峠越え道は4

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(左)【往馬大社】・・・この神社を中心に生駒山麓の古代遺跡を見聞しながら、暗峠へ向かいました
(右)【暗(くらがり)峠へ】

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【峠への登り道①】・・・このあたりより狭い道が続きます。路面はアスファルトでなくコンクリートで、滑り止め処理をしています


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【峠への登り道②】・・・登ってきた後ろを振り返ります。勾配のきつさをご覧ください


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【峠への途中で奈良方面を眺めました】・・・遠く向うの山は、奈良奥山あたりでしょう

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【峠の家屋】・・・峠の茶店と家々。大正時代初期までは20件ほどの茶屋や旅籠がありました/県境の標識が見えます

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【河内名所図絵に描かれた暗峠】・・・江戸時代/享和元年(1801)に刊行された図絵

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【暗峠へ道標】

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【峠の頂点】・・・県境の標識のあるところに、峠の頂点が見えますね

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【峠の石畳】・・・江戸時代に街道の整備がなされて石畳が敷かれたそうです。奈良見物やお伊勢参りの往来で賑わったことでしょう。現在は国道308号線。車はこの狭い道幅ギリギリに通行しています(道の向こうからくる車を見てください)

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【峠より大阪への下り道】・・・やっぱり道幅は狭く勾配はきつい。下りは人は背をそらし気味に歩いています。車も道巾いっぱい

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【眼下の大阪市街】・・・大阪への下り道で大阪市街が眼下に見えます。向うの少し黒っぽいビル群のところが「上町台地」。その手前が、現在も低地になっていて昔は「河内湖」だったところです

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【河内湖地図】・・・上の写真と見比べてみてください。建物をすべて取り払ったイメージで眺めますと、上町台地と河内湖だったところが想像できますね。
 
いま、NHK大河ドラマの「真田丸」で真田幸村が大坂冬の陣で「真田山」に築いた砦「真田丸」は、上町台地の森ノ宮のすぐ南側です

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【石切神社】・・・この日の終着点。宝物館を見学して例会は終了でした

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2015年8月10日 (月)

京の夏の旅/文化財特別公開(第3報)/南禅寺・大寧軒

150801daineiken00「京の夏の旅・文化財特別公開」見学、第3報は「南禅寺・大寧軒(だいねいけん)」をお届けします。

京都市の今年の夏の観光キャンペーン「京の夏の旅・文化財特別公開」は、9/30()まで開催されています。

今回の私の京の夏の旅・二日目は8/1()の午後に、「南禅寺・大寧軒」の庭園を見学してきました。この庭園も普段は非公開になっています。

 

南禅寺境内にある大寧軒は「池泉回遊式庭園」と言われる470坪の明治時代の素晴らしい日本庭園です。この日も京都は猛暑日、しかし、庭園内を流れる清流と格調高い日本庭園の美しさに、暑さを忘れる別世界を楽しませていただきました。

この庭園の元の場所は、南禅寺の塔等・大寧院があったそうです。南禅寺の寺領の多くは明治の初めの廃仏毀釈で、お上に召し上げられました。この周辺は京都東山の風光明媚な地ですので、京都府から民間に払い下げをされました。そして、当時の財閥や大金持ちが別荘や別宅として購入したそうです。大寧軒は茶道家元藪内家が所有していましたが、2004年に再び南禅寺の所有に戻りました。

東山を借景にした庭園は中央を流れる小川に琵琶湖疏水を取り入れていまして、豊かな水がさわやかなせせらぎとなっています。清流の取り入れ口にはあまり目にすることのない珍しい「三つ柱鳥居」が流れをまたぐように建っています。京都三珍鳥居と言われる太秦の神社「蚕ノ社」の鳥居を模したそうです。また、園内全体は苔に覆われていまして、飛び石以外は踏み入れないように注意書きがありました。

園内の燈籠もいろんな種類のものがあります。私は燈籠のことはよく知らなかったのですが、ボランティアガイドの説明では「春日型燈籠、雪見型燈籠、織部型燈籠」など9つが据えられているそうです。そしてもうひとつ面白いのが小川の底には「シジミ」の殻がたくさん見られます。琵琶湖疏水と一緒に琵琶湖のシジミが流れてきているのでした。

 

付け足しの話ですが、この日の午前中は平安神宮の「神苑」を散策してきました。宿泊したホテルのサービスで入場券をもらったのでした。神宮神苑はいままで何回となく訪ねていますが、この庭園もいつもゆったりした心地で歩きまわれるのでお気に入りです。

私たち夫婦の二日間の京の夏の旅、いつものことながらゆっくりペースののんびり旅。二日間の訪ねた場所は4か所でした。

 

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【大寧軒(だいねいけん)の入り口門】

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【大寧軒の日本庭園(1)】・・・門から入ってすぐの庭園の展望

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【大寧軒の日本庭園(2)】・・・少し中に進んで池の正面から。池の右手向うから川が流れ入っています。「三つ柱鳥居」が小さく見えています

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【三つ柱鳥居】・・・鳥居の向こうの岩から取水の滝が流れています。鳥居は京都三珍鳥居と言われる太秦の神社「蚕ノ社」の鳥居を模したそうです

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【大寧軒の日本庭園(3)】・・・庭園多くからの展望。右手後方のこんもりした繁みは、借景の東山三十六峰の一つ・大日山

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(左)【シジミ】・・・琵琶湖疏水と一緒に流れてきた琵琶湖のシジミの殻

 

(右)【大寧軒拝観券】

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【平安神宮神苑(1)】・・・中神苑の蒼龍池。赤、白、薄黄色の睡蓮が見事に咲き乱れていました。池の中央に並んでいる飛び石は、古い石柱を使った臥龍橋

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【平安神宮神苑(2)】・・・東神苑の栖鳳池(さいほう池)と泰平閣(橋殿)

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2015年8月 7日 (金)

京の夏の旅/文化財特別公開(第2報)/下鴨神社本殿

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「京の夏の旅・文化財特別公開」見学、第2報は「下鴨神社本殿・大炊殿・神服殿」です。1報の上賀茂神社に続いての報告です。

京都市の今年の夏の観光キャンペーン「京の夏の旅・文化財特別公開」は、9/30()まで開催されています。

7/31()の午後は、上賀茂神社から下鴨神社へ移動しての見学でした。下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおや神社)と言います。

本殿は東西二つの社になっていまして、国宝に指定されていますとともに世界文化遺産にも登録されています。1863(文久3)に造営されました本殿は、今年が式年遷宮で檜皮葺き屋根、朱塗りの高欄などが修繕され、特別公開で「参拝所」から拝むことができました。

祭神は東殿には『玉依媛命(たまよりひめのみこと)』がお祀りされていまして、上賀茂神社の祭神の『賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)』の母神になります。また、西殿には『賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)がお祀りされていまして玉依媛命の父神になります。

二つの本殿を参拝のあと、同じく特別公開の「大炊殿・神服殿」を見学して、朱塗り鮮やかな「楼門」をくぐります。この楼門は1628(寛永5)建立で、高さが30m、重要文化財です。

 

楼門を出ると正面鳥居に向かいます。そのすぐ横に休憩所がありました。この日は、日本全国は猛暑日。水分補給をしながら歩いていましたが、この休憩所で大きなかき氷を食べることにしました。熱しきった身体の中心を冷たい氷水が気持ちよく流れていきました。

正面鳥居から外の参道は原生林の『糺(ただす)の森』。36,000坪の原生樹林は、この日の夏日を感じさせない爽やかな大空間でした。糺の森の南詰にある「河合神社」をお参りして、この日の下鴨神社特別参拝はおしまいです。

 
原生林を出てまた真夏の街なか道を出町柳まで歩いて、駅前からこの日のホテルへ市バス203系統で向かいました。二日目の記事はこの後、3報で報告します。どうぞ、ご覧ください。

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【下鴨神社・楼門】・・・1628(寛永5)建立で、高さが30m、重要文化財です

 
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【幣殿】・・・幣殿から祝詞舎を写す。御簾の向うに東本殿と西本殿があります。


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【東本殿】・・・御簾の向こうの東本殿を回廊の外格子の隙間からとりました。『
玉依媛命(たまよりひめのみこと)』がお祀りされています。本殿の御扉の両脇には金と銀の獅子狛がお守りしています


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【正面鳥居と楼門】


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(左)【さざれ石】・・・「君が代」に唄われています。小さな石ころが永い年月を経て巌となっていくことで、神霊が宿る石であると信じられています
(右)
【下鴨神社本殿・大炊殿・神服殿拝観券】


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【境内案内図】

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【参道】「糺(ただす)の森」…36,000坪の古代原生樹林に囲まれた、癒しの空間です。社殿とともに世界文化遺産に登録されています

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2015年8月 4日 (火)

京の夏の旅/文化財特別公開(第1報)/上賀茂神社本殿・権殿

150731kamigamo00京都市の今年の夏の観光キャンペーン「京の夏の旅・文化財特別公開」見学を7/31()8/1()の二日間、出かけてきました。このキャンペーンは9/30()まで開催されています。

一日目の7/31()は「上賀茂神社本殿・権殿」と「下鴨神社本殿・大炊殿・神服殿」を参拝してきました。まず第1報は「上賀茂神社本殿・権殿」の報告です。

上賀茂神社の正式名称は「賀茂別雷神社(かもわけいかづち神社)と言います。世界文化遺産に登録されていますこの神社は、京都最古の社ですが、今年は21年ぶりの式年遷宮になっていまして、修復されました本殿(国宝)と権殿(国宝)を特別参拝させていただきました。

この特別参拝は、普段は入ることの出来ない神域に立ち入るということで、「特別参拝の浄め掛けたすき」を首から掛けて、神職に案内していただきました。一千年の時の流れを越えて、古の姿そのまま残っています檜皮葺の「本殿」・「権殿」の前では、心が癒される思いと安らぎを感じさせていただきました。

祭神は『賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)』で、母親は下鴨神社にお祀りされています『玉依媛命(たまよりひめのみこと)』です。

午前中、境内をゆっくりと参拝して、境内を流れています「御手洗川(みたらし川)のさわやかな流れを目と耳で楽しみました。昼食を済ませてから市バス4系統に乗って下鴨神社へ向かいました。下鴨神社の記事はこの後、第2報で報告します。どうぞ、ご覧ください。
 

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【上賀茂神社・一の鳥居】

 

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【細殿、立砂と楼門】
 
 
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(左)【楼門と玉橋】
(右)【本殿・権殿はこの門の向う側】・・・撮影禁止になっています。本殿・権殿は心爽やかに拝んできました
 

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(左)【境内を流れる御手洗川(みたらし川)】鴨川の分流水で水量も多く美しい流れです

(右)【境内案内図】
 

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(左)【浄め掛け】・・・特別公開の本殿・権殿へは、浄め掛けのたすきをかけての参拝でした

(右)【上賀茂神社本殿・権殿拝観券】

 

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2014年6月 2日 (月)

伊予の国・今治城を訪れました

20145月末に今治城を訪れました。今治城は、藤堂髙虎が関ヶ原の戦いののち東伊予20万石の大名となり築城しています。なぜ今治城を訪ねたかといいますと、今治は三重県名張市と少なからずのご縁があるからです。

名張のお殿様は藤堂高吉が初代です。高吉は丹羽長秀の三男で豊臣秀長の養子になり、それからまた髙虎に養子として迎えられています。子のなかった髙虎は、藤堂家の跡継ぎにする予定でした。髙虎は今治で8年ほど後に、伊勢・伊賀の国32万石へ国替えとなり、高吉は今治に残って2万石のお殿様としてよい治世をしていたそうです。そして、高吉は今治を27年間治めたのち、伊賀の名張へ国替えとなりました。

高吉は当初は跡継ぎとなるはずだったのですが、のちに髙虎に実子・高次が誕生したため家臣の身分に格下げとなり分家となって、名張藤堂家2万石がここから始まったのでした。高吉は名張でも大変よい治世と町づくりをしまして、現在の名張の町の原型が形作られたのでした。高吉は藤堂本家の跡取りになれなかった悔しい思いのまま名張で92歳の生涯を終えています。

このような名張の歴史にご縁のある今治へは、以前から是非とも訪ねてみたいと思っていたのですが、この度やっと実現できた次第でした。

 

(今治城の説明と写真を、どうぞご覧ください)…写真はクリックで拡大します

 

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【今治城】…お堀と天守閣。左が山里櫓。内堀の水は海水です。今治城は日本一の海城といわれ、来島海峡に面していて、戦略的に重要な役割を持って建設されたのでしょう。

 

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【今治城内案内図】

 

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【藤堂髙虎像と天守閣】…藤堂髙虎は城づくりの名人といわれていて、今治城の他、伊賀上野城、津城、宇和島城、そして、伏見城、二条城、江戸城までも築城の中心人物として関与しているそうです。また、武勇でも優れていた半面、政治家としての手腕も大きかったのでした。身長62(190)、体重30(110)の巨漢だったそうで、こんな男が刀を振り回したら、戦場では敵はみんな逃げ回ったことでしょうね。

 

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【天守閣】…御金櫓の前より撮影しました

 

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【石垣と犬走り】…石垣は自然石をほとんどそのまま加工しないで野面積み(のづらづみ)しています。高さは1114mあるそうです。石垣の下部には2間巾(3.6m)の犬走りめぐらされています。戦略的には不利になるのですが、海辺に築かれた脆弱な地盤だったので地盤補強の効果を出すために設けられています。

 

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【鉄御門(くろがねごもん)】…お城の正門。扉は鉄板張りなのでこの名前になったのでしょう

 

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(左)【鉄御門上の多聞櫓内の建物構造】…昔の建築物は釘を使わないで組み立てた様子がよくわかります。「和小屋組」といわれる工法。2007年に復元されています。
 

(右)【鉄砲の狙い撃ち窓】…多聞櫓から大手道を狙えるようになっています

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(左)【海水流入口】…内堀からこの水路口を通って海水が流通するようになっています

(右)【水路】…海水が流通する水路。撮影したときは引き潮だったので海側に海水が流れていました。昔は、内堀の外側の中堀に舟入場があり、外堀を通じて海から舟が出入りできるようになっていたそうです。 

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【来島海峡】…天守閣より見た来島海峡としまなみ海道の来島海峡大橋。この日は黄砂がたくさん飛んできていて霞んでいました

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2013年11月12日 (火)

三年坂から高台寺へ

131030sannezaka_kodaiji0011/4付の清水三年坂美術館の続き記事です。三年坂美術館での鑑賞を終えて高台寺に向かうことにしました(10/30の訪問)

三年坂から高台寺へ歩く途中、京都らしさを一番感じられるビューポイントの法観寺・八坂の塔を向うに見ながら二年坂の階段を下りました。三年坂美術館をゆっくり鑑賞しましたので、二年坂に差しかかった頃は、お昼時間もすぎた1時前になっていました。そして目にとまったのが「おめん」の看板のあるちょっと小奇麗な雰囲気のうどん屋さんの店。女房はここがいいというもので、この店で「名物うどん・おめん」を食べることにしました。このうどん、つけうどんでこれが結構いい味で、美味しくいただきました。

 

高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うために、正室北政所(ねね)が創建したお寺ですが、いまの私たちは桃山時代を代表する庭園として有名で、その美しさを楽しむことができるということで訪れてきました。

お寺の中心にある「方丈」に靴を脱いで上がって縁側の廊下から、観光案内などでよく見かける「開山堂」と「観月台」の前に広がる有名な庭園を、ゆっくり眺めてしばしの安らぎを持ちました。そのあとは境内に降りて、もう一つの美しい庭園、「臥龍池(がりょうち)庭園」を鑑賞。10月末でしたので、紅葉にはまだ少し早かったのですが、少しだけ色づいたモミジを楽しませていただきました。

日本庭園を楽しみ、重文の開山堂、同じく重文の霊屋(おたまや)を拝観して、高台寺の西側の「ねねの道」へと出ていきました。

ねねの道のすぐ横に「高台寺・掌美術館」があり、高台寺ゆかりの宝物、蒔絵の調度品が展示されています。併せてこれらの美術品を鑑賞して、これにて高台寺の拝観はおしまいにしました。

 

(写真はクリックで拡大します)

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(左)【三年坂】・・・三年坂の階段の下から撮影です
(右)【八坂の塔】・・・京都で最も京都らしさを感じられるビューポイントです

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(左)【二年坂(1)】・・・三年坂より二年坂へ下る曲がり角

(右)【二年坂(2)】・・・二年坂の階段下からみています

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(左)【うどんの店(1)】・・・「名物うどん・おめん」の店

(右)【うどんの店(2)】・・・つけうどんの「おめん」。たっぷりのゴマと野菜。看板通り美味しかった

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【高台寺(1)】・・・遺芳庵/茶席

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【高台寺(2)】・・・国史跡・名勝の高台寺庭園/正面が「開山堂」。その左の廊下の中央が「観月台」

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【高台寺(3)】・・・臥龍池と開山堂。10月末では紅葉はまだこれからです

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(左)【ねねの道の道標】・・・写真の左手方向に「ねねの道」があります
(右)【いっぷく】・・・高台寺・掌美術館の前の茶店で一服して、抹茶ソフトクリームを

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2013年11月 4日 (月)

清水三年坂美術館で鑑賞・日本の伝統工芸美術

131030sannezaka_museum002013年秋、10/30()京都の「清水三年坂美術館」で日本の伝統工芸美術を鑑賞してきました。この美術館の展示品は、幕末、明治時代に制作された、「蒔絵」、「金工」、「七宝」、「京薩摩焼」等の技術的にも芸術的にも高度で完成度の極めて高い美術品の数々です。

明治時代には、これらの美術品の価値が日本人には見出すことができなくて、その大半が海外に流出しています。そして、日本に残っているのは価値の低いものばかりで、今までこれらの名品を私たちは見る機会が、ほとんど失われていましたそうです。

このような状況の中、この美術品を展示する美術館が清水寺の近くの三年坂に「清水三年坂美術館」として2000年に開館しました。館長の村田理如さんが1980年代にニューヨークの美術品店で、蒔絵の印籠に出会ってとりこになったのがきっかけでした。そしてその後も世界の各地でこれらの美術品を見つけては買い集め、日本の伝統工芸品の美しさを日本人の多くの方に再認識していただこうと展示することにされたそうです。

 

今回、この美術館を訪れましたのは、いま特別展示をしています「絹糸で描いた刺繍絵画の世界」展を、女房が鑑賞しに行きたいといったのがきっかけでした。私たち夫婦は、この美術館をかねがね一度訪ねたいと思っていましたので丁度いい機会だと出かけた次第でした。

1階が常設展示室で、本当に素晴らしいを通り越した名品の美しさに、我を忘れて見入ってしまいました。展示品の一例ですが、香炉、香箱、硯箱、花瓶、印籠など等その他、どれをとってもよくもこれだけ細緻に繊細に高度な手工技術で美の極限を求めて仕上げたものだと感嘆するばかりでした。

特別展示の2階の刺繍絵画展は、明治時代に京都を中心に制作された絹糸で描かれた刺繍作品でした。この刺繍絵画作品の素晴らしさにも、また圧倒されました。当時のヨーロッパの王侯貴族の間では評判が高かったようで、日本は外貨獲得の目的で蒔絵、金工、七宝などと共にこの刺繍絵画もたくさん輸出したのでした。

小さな美術館で案内書では見学所要時間は約30分とありましたが、私たちは展示品に見惚れてじっくり鑑賞したもので、1時間30分ほど滞在してしまいました。

 

刺繍絵画の特別展は1117日までですが、また別の特別展も定期的に企画されます。常設展示室も展示品は順次入れ替えがあるそうです。まだ清水三年坂美術館を訪ねておられない方は、是非、日本の伝統工芸美術品の素晴らしさを鑑賞してきていただければとお勧めいたします。私もまた機会を作って再度、鑑賞に訪れたいと思っています。

 

(写真はクリックで拡大します) 


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【清水三年坂美術館正面玄関】・・・三年坂の中ほどに普通の二階建て建物。気が付かなかったらそのまま通り過ぎそうです
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(左)【常設展示室】・・・1階の常設展示室入口。これより中は撮影禁止でした 

(右)【特別展ポスター】・・・2階で開催の、絹糸で描いた「刺繍絵画の世界」案内ポスター

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【美術館のパンフレット(右側)と入場券(左側)

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【美術館の所蔵品紹介】・・・パンフレットよりコピーさせていただきました。掲載は了解を得ています。ありがとうございます

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(左)【にぎやかな清水坂】・・・清水寺への清水坂は平日にもかかわらず、このような賑わいです
(右)【三年坂】・・・清水坂よりちょっと入った三年坂。清水坂よりは人は少ないですが、それでも絶え間なく観光客は歩いています

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2012年11月16日 (金)

伏見桃山陵と乃木神社を参拝してきました(2012.10.24)

 10/24(木)に伏見・御香宮神社を参拝しましたその続編です。御香宮神社を参拝したあと、東方向へのゆるやかな上り坂を「伏見桃山陵」と「乃木神社」をめざして歩きました。御陵さんの入り口に当たるところには、「明治天皇陵」「昭憲皇太后陵」と揮毫された石碑があり、そこから先は深い木立に囲まれたゆったりと広い参拝道が続いています。1㎞ほどを20分ぐらいゆっくりと森林浴を楽しみながら歩きますと「明治天皇陵」に着きました。
 「明治天皇」がお祀りされています伏見桃山陵は、元々は豊臣秀吉が建てた伏見城・本丸だったところです。明治天皇の遺言によってこの地に御陵が築かれたそうで、近畿地方での最後の天皇陵になります。墳丘は上円下方墳で「さざれ石」が全面を覆って敷かれています。
 伏見桃山陵のすぐ東には昭憲皇太后(明治天皇妃)の「伏見桃山東稜」あります。また、桓武天皇陵がその北方へ少しのところにもあります。

121024momoyamaryo04 御陵さんを参拝しましたあと、正面の200数十段の大階段を下りてから10数分ほど歩くと立派な神門の「乃木神社」に着きました。明治天皇が崩御され大葬の儀の日の夜、乃木希典(のぎまれすけ)将軍は静子夫人と共に自刃して殉死されています。その後、各地に乃木神社が創建されていますが、この京都・乃木神社は将軍が敬慕した明治天皇陵のふもとに鎮座していることで、一層感慨深いものがあります。
 境内には見どころとなるいくつかの施設があります。その中で私が興味を持ちましたのは、将軍が幼少時代を過ごした長府の乃木旧邸の復元家屋でした。質素で慎ましい生活をしている様子、家事の手伝いで足踏み唐臼(からうす)で精米作業をしながら勉強している様子などが復元展示されていて、苦労しながら成人していったことがよくうかがえます。
 乃木将軍にまつわるその他の遺物や遺構を見学し、もときた道を再び歩いて桃山御陵前駅へ向かいました。

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(左)【伏見桃山陵・参拝道入り口】・・・ ゆったりと幅の広い参拝道がここから1㎞ほど続きます
(右)【明治天皇陵】・・・ 鳥居の向こう見える墳墓は、上円下方墳で「さざれ石」が全面を覆って敷かれています

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【明治天皇陵パノラマ】・・・ 明治天皇陵をパノラマ撮影

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(左)【乃木神社・神門】・・・ 樹齢三千年の幹径2mの台湾ヒノキで造られているそうです
(右)【乃木神社・拝殿】・・・ 拝殿左右には将軍の愛馬の像が

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(左)【乃木将軍愛馬・壽号】
(右)【乃木将軍愛馬・璞号】

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(左)【乃木将軍肖像画】・・・ 将軍記念館で撮影
(右)【長府の乃木旧邸・米搗き(こめつき)】・・・ 乃木少年が足踏み唐臼(からうす)で米搗きをしながら勉学している復元展示

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【乃木家の家庭訓】・・・ 乃木家では父が乃木少年に毎朝、出仕前に一条の教示をされました。この家庭訓が「いろは数え歌」として遺されています。
 ●その中の一条を紹介します … 「日本の教えの基は、仁義礼智信忠孝(じん・ぎ・れい・ち・しん・ちゅう・こう)の道と忘れ給うな」

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2012年11月 9日 (金)

後期「日本美術の至宝」特別展・名古屋ボストン美術館で鑑賞(2012/11/7)

121107bostonm00 11/7(水)に後期「日本美術の至宝」特別企画展を名古屋ボストン美術館で鑑賞してきました。8月にも前期のこの展覧会を観賞してきて、大きな衝動と深い感銘を受けてきたのですが、総入れ替えされた後期展示も必ず鑑賞しなければと、出かけました次第です。

 後期展も前期と変わらず固唾をのむものばかり、日本の絵画の素晴らしさを極めた作品の数々に、日本人としての誇りを覚えずにはいられませんでした。
 後期の見どころは、やはり「平治物語絵巻」の後半部、尾形光琳(おがたこうりん)の「松島図屏風」、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の「鸚鵡図(おうむず)」、曽我蕭白(そがしょうはく)の「風仙図屏風」や「霊昭女図屏風」など等、国宝級の絶品ばかりでした。
 名古屋での会期は9/29(土)~12/9(日)。このあと九州国立博物館では2013/1/1(火)~3/17(日)、大阪市立美術館では2013/4/2(火)~6/16(日)の開催となっています。興味をお持ちの方はお見逃しなくどうぞお出かけください。

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(左)【名古屋ボストン美術館・正面玄関】
(右)【名古屋ボストン美術館・館内へのエスカレータ】

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【「日本美術の至宝」特別企画展・案内パンフレット】

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【美術展のぬり絵用紙】・・・ 館内の図書コーナーに、子供たちが展示品の「ぬり絵」遊びをするコーナーが設けられています

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【ぬり絵の展示】・・・ 子供たちが遊んだぬり絵の展示。素直に表現したなかなか迫力ある仕上がりばかりです

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2012年11月 5日 (月)

伏見・御香宮神社を参拝してきました(2012.10.24)

121024gokogujinja00 先月10/24(水)、京都伏見の御香宮神社をお参りしてきました。歴史上でいろんな出来事と関連していることと、天下の名水といわれる「御香水」が湧き出る神社を以前からお参りしたいと思っていたのですが、この度やっとそれがかないました。また、この地は伏見の銘酒の産地であることは万人が知ることですが、行ってみておいしい水が湧き出てくる地形であることもよくわかりました。東に広がる桃山一帯に浸み込んだ伏流水がそれであり、昔から人々がこの水を「伏水」といってありがたくいただいて、生活に潤いをもたらされていたことでしょう。
 近鉄・桃山御陵前駅のすぐ東側に真っ赤な大鳥居(一の鳥居)があります。そしてまたすぐその先に立派な表門があります。

 ここでちょっと話はそれますが、この表門の道向う真正面に「みたらし」を売る店がありました。一緒に行ったわが女房が一服の時に食べようと買ってきました。その後、神社の境内で食べましたが、その美味しかったこと、いままでに食べてきたみたらしの味とは全く異なもの、「こんな美味しいみたらしがあったのだ」と、この歳になって実感しました次第でした。

 話しを元に戻します。神社の表門は、もともとは秀吉が建てた伏見城の大手門を、徳川時代になってお城は取り壊されて移築されました。そのほかにも取り壊されたお城の建物は二条城や各地のお寺等にも移築されています。そしてこの表門の頭上には見る価値のある「蟇股(かえるまた)」があります。桃山時代の建築装飾で国の重要文化財に指定されているそうです。(蟇股とは:建物の棟木や桁を支える構造材で、あたかもカエルが足を広げた形に似ていることからこの名があるそうです)
 表門をくぐると二の鳥居が、そこから参道を通ってその先が「割り拝殿」。この拝殿がまた素晴らしい。極彩色を施された華やかな彫刻で飾られた建物で京都府指定文化財です。徳川頼宣(とくがわよしのぶ・家康の十男・紀州徳川家初代)の寄進だそうです。表門や拝殿にこのような価値のあるものが建てられているということは、御香宮神社は徳川時代にはそれ相当の位置づけがあったのではないかと感じました。
 本殿も国の指定文化財で、ありがたくお参りして、その横に樋から流れている「御香水」をいただきました。まったりとしてやわらかく喉に気持ちよくしみいる水でした。本殿の裏にまわって、その他のお社もお参りさせていただきました。
 再び拝殿前の境内に出て、幕末の倒幕へのきっかけとなった鳥羽伏見の戦いをしるす「伏見の戦跡」の碑、「伏見城の残石」等を見聞して御香宮神社をあとにしました。

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【御香宮神社・一の鳥居】・・・ 近鉄桃山御陵駅前より撮影

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【御香宮神社・表門】・・・ 取り壊された伏見城大手門が移設されている

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【表門の蟇股(かえるまた)】・・・ 表門の正面を飾る「蟇股」。桃山時代の建築装飾。重要文化財指定

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【二の鳥居と参道】・・・ 表門より撮影

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【割り拝殿】・・・ 極彩色彫刻が華やかに飾られた建物。京都府指定文化財

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(左)【本殿】・・・ 国の重要文化財
(右)【本殿・背面】・・・ 裏側に回って撮影

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(左)【御香水の碑】
(中央)【伏見の戦跡碑】・・・ 佐藤栄作総理大臣の揮毫。御香宮神社は官軍の陣所に、幕府軍は伏見奉行所を陣所として、鳥羽伏見の戦いは始まった
(右)【伏見城跡残石】・・・ 400年余りあとの現在も、伏見城の残石がこのように保管されている

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(左)【みたらし】・・・ 境内で一服していただきました。「こんな美味しいみたらしがあったのか」と驚きの格別の味でした
(右)【みたらしの店】・・・ 表門向かい側の、美味しいみたらしを売る店

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