歴史・古代史

2009年11月28日 (土)

昭和の街角を見つけた/伊賀上野で

 昭和の街角を伊賀上野で見つけました。11/28(土)所用があって三重県伊賀市の上野の町に行きました。伊賀上野は私・水無月生の住まいし名張市から車で約25分のところです。用が済んで次のところへ古い家並みの街中を歩いて移動中に、何気なく見つけたのがこれらの写真です。昭和は私たち年代にはほんの少し前の感覚ですが、このように実際の昭和の風景を眺めると、やっぱり時代が過ぎて行っているような思いの印象を持たずにはいられませんでした。ご覧になられた皆さまは、いかがなものでしょうか。

【写真はクリックで拡大します】

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【オリオン座のネオン】・・・TBS系で放映された「金曜ドラマ・歌姫」(2007/10~ 全10回シリーズ)の『映画館・オリオン座』のネオンに実際に使われた現物のネオン

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【オリオン座のネオンを掲げている食料品店】・・・昭和ハウスという店の名前

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【餅屋と鶏肉屋】・・・昔ながらの店構えで(次のズームアップ写真をご覧ください)

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【餅屋の店先】・・・昔ながらのお餅や和菓子、駄菓子を並べていました

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【時計修理店】・・・ここも昔ながらの店構えで、古い時計や古カメラの修理
(次のズームアップ写真をご覧ください)

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【時計修理店のウインドウ】・・・再生した昔懐かしいライカ版の古いカメラやゼンマイ巻の柱時計、置時計、腕時計が並んでいました

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2009年10月16日 (金)

一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねて

091015asakurasi_00  10/15(木)は福井県・越前の「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪ねてきました。前日は「永平寺」を参観して芦原温泉泊。一乗谷は室町時代後半から100余年の朝倉氏5代の居館とその町並み遺跡です。
 朝倉孝景が越前を平定して北陸の小京都として奈良・京都の貴族や僧侶を迎えて文化の花が開き、5代目の義景が織田信長に敗れて城下町が灰燼に帰すまでの、繁栄の歴史が残っている遺跡です。ここは福井県の特別史跡として発掘と復原がなされています。

 復原された町並みや、商人の家、武家屋敷は興味深く散策ができて結構楽しく見物できました。町並みは、戦国時代の城下町が具体的に見物することができます。庶民や武士の生活ぶりを目にしながら想像できるのはおもしろいです。その面白く感じたところを拾い出してみます。
(1)町の家々は周囲が排水溝で囲まれて排水がきっちりされている
(2)それぞれの家々には「井戸」が備わっていました
(3)商人の家の柱や棟木の表面は「カンナ掛け」がなされていなくて、「チョウナ」で削った粗削りのままなのが面白い。また、生活空間は居間兼寝室と店の間だけ。そして屋根は板葺きで重しの石がのせてある
(4)武家屋敷の敷地は広く300坪ほどあって、区画が整然とされている
(5)武家屋敷の台所は豊かさが感じられる。面白いのは便所だった。大便器は正面扉の方向を向いている。敵に襲われないように見張りができるためなんだろうと思いました
(6)町並みの通りは防御のためどこの城下町と同じように、直線で見通しができないようにカギ形に曲がったりT字路、行き止まり等の工夫がみられる
 ★その他にもいろいろな興味をもって見るものがたくさんありますがこれぐらいにします。

 資料館も見物して、4時間ほどの500年の昔へのタイムスリップ。復原遺跡の通りには戦国時代の町娘に扮した女の人や町人がいて、より楽しさの演出もしていました。

【写真はクリックで拡大します】

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【町家】…家の前と横には排水溝、屋根は板葺きに重しの石

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左:【商人の家の店先】…窓は格子のまま。夜や雨には雨戸を下ろす
右:【柱や棟木の表面】…角木材の表面は「チョウナ」仕上げの粗削り

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左:【町割りの通り】…左右は武家屋敷。通りの先はカギ形に曲がっている
右:【武家屋敷の門】…商人の家とは違いがある

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【武家屋敷跡】…敷地は整然と区画され、面積は300坪ほど

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【武家屋敷の台所】…囲炉裏の間に納戸、窓には障子があり水準の高さが分かる

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【武家屋敷の便所】…大便器が正面扉向きで敵に備えるようになっている

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【朝倉氏の居館跡の門】

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【朝倉氏の屋敷跡】

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【朝倉氏の庭園跡】…荒々しい石の庭園の「湯殿跡庭園」

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2009年6月 5日 (金)

薬草料理を賞味する/宇陀・大願寺

090604yakusoryori_menu  『薬草料理』というものを賞味してきました。奈良県宇陀市にある「大願寺」で薬草料理を食べさせてくれます。6/4(木)はこのブログでもたびたび登場しました、万葉の会の6月例会でした。この日は宇陀市の「阿騎野」を歩きました。午前中は大宇陀・松山街なかを散策でした。松山は旧街道筋で江戸時代から栄えた町です。吉野から長谷、三輪、また、伊勢に通じる街道です。いまもなお昔ながらの薬問屋の店が並んでいます。

 松山街なか散策後の昼食が、「大願寺」の『薬草料理』を万葉の会メンバー47名でにぎやかにいただきました。献立には、『葛の刺身』、『朝鮮人参のてんぷら』や本当に真っ黒な『黒米』などその他、初めて食べるものがたくさんあり、普段食べている肉や魚を含めない食事もまた楽しい味覚でした。薬草料理とはどのようなものかは、写真と料理献立をご覧ください。

【薬草料理献立】
《前菜》・金銀寄せ(金柑、銀杏) ・市松羹(南瓜、トマト) ・蕗(ふき)酢漬け ・玄米おにぎり ・味噌漬け豆腐
《胡麻豆腐》吉野葛の豆腐
《酢の物》菊花、紅花、ヤブカンゾウの花
《白あえ》しめじ、こんにゃく、どんぶり(ホウキグサの実)他
《三種盛り》・長芋とアロエの梅肉和え ・野菜と湯葉の酢味噌和え ・金針菜(キンシンサイ)とクコの実
《葛の刺身》吉野本葛
《煮物》飛龍頭のあんかけ
《天麩羅》・朝鮮人参、ナツメ、ドクダミ、ヨモギ、ユキノシタ、ハッカ
《ご飯》黒米
《吸物》舞茸、ヨモギ麺、ミツバ
《香の物》沢庵、胡瓜、もろみ味噌
《お菓子》自家製のうぐいす豆の入った羊羹
《薬草茶》アマチャヅル、ドクダミ、アロエ、ハトムギ、クコ等の十種入り

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【前菜/胡麻豆腐/酢の物/白あえ/三種盛り】

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左:【葛の刺身】
右:【煮物】

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左:【天麩羅】
右:【ご飯/香の物】

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左:【吸い物】
右:【お菓子】

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左:【お茶】
右:【大願寺】・・・薬草料理がここで食べられる

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2009年4月 6日 (月)

日本最初の文字が書かれた土器

090402uresinosiryokan_1  日本最初の文字が書かれたという「墨書土器」の見学を先週の4/2(木)に嬉野ふるさと会館へ行ってきました。私たちの万葉の会4月例会です。この墨書土器は1995年(平成7年)と1999年(平成11年)に発見された話をご存じの方も多いと思います。三重県嬉野町(うれしの町)の片部遺跡と貝蔵遺跡で『田』と墨書された2つの土器と、人面らしきものを書かれた土器です。
090402bokushodoki_3  日本で書かれた文字の古いものは遺跡からたくさん発掘されていますが、ほとんどのものは飛鳥時代600年代の木簡がよく知られています。しかし、それ以前の日本では文字は本当に使われていたのだろうかという確証は得られていませんでした。それが、この片部・貝蔵遺跡の土器に書かれた墨書が証明してくれたことになります。
 貝蔵遺跡の土器は一つは西暦100年代末、あとの一つの片部遺跡のは西暦300年代初めのものだそうです。ちょうど卑弥呼の時代に重なります。そんなことで、この墨書土器は弥生時代の様子に夢と想像をふくらませてくれる楽しい材料を与えてもらいました。

 片部・貝蔵遺跡は近鉄中川駅周辺になります。長谷街道がここを通っていまして、大和・長谷から伊勢への街道筋になります。やっぱり、そんな時代から大和と伊勢が密接に結びついていたことと、この地域が物資の交流と経済的に重要な役割を果たしていたということも改めて認識できると思います。近鉄の線路がこの中川駅で大阪伊勢方面と名古屋方面の分岐点になっているのも同様にうなずけることでしょう。

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【墨書土器-1】『田』の文字をご覧ください。1995年(平成7)12月貝蔵遺跡で発掘。西暦300年代の土器

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【墨書土器-2】これも『田』の文字をご覧ください。1999年(平成11年)12月片部遺跡で発掘

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左:嬉野町歴史資料館で墨書土器の説明を聞く
右:展示物を熱心に見入る「万葉の会」メンバー

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左:【嬉野町歴史資料館】…うれしのふるさと会館内
右:【資料館内の展示室】

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2009年3月 7日 (土)

【3】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その3)

 私の好きな日本の発表…『その3』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大神神社(おおみわじんじゃ)境内を歩いて再び「ヤマト平野」を望みます。では、その内容をどうぞご覧ください。
『その1』 『その2』 はこちらよりご覧ください)

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)「巳の神杉」… 拝殿のすぐ横には「巳の神杉」がお祀りされています。
・今も人々はここには神の使いの「白いヘビ」が住んでいると信じ、お参りする人が絶えません。
---巳の神杉のはなし---

・古代の人々は、三輪山には斧入れないで神の宿る森として保存してきました。
・山に立ち昇る霧や雲に神意を感じ、山から流れ出てくる水により農作物を作り、日々の暮らしを潤してもらえたのでした。
・杉の根元には巳さんが住んでいたことから、山内に棲む蛇を神の使いと信じたのでしょう。

・蛇は、水神、雷神でもありますので、人々は農業神、五穀豊穣の神として霊験を感じたことだと思います。

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(スライド2)「狭井神社」… 神社境内を奥に入っていきますと、たくさんの摂社が鎮座されている中でも、狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおかみあらたま神社)は格別な存在です。
・狭井神社では、無病息災を祈る祭りとして「鎮花祭」が毎年春に催されています。先に話しました崇神天皇の世に蔓延した伝染病を鎮めるために、このお祭りが今の世まで続いています。
・狭井とは「神聖な井戸」のことで、霊泉が湧き出ていまして、「くすり水」として多くの人に利用されています。
・境内には「皇后陛下の御歌歌碑」があります。陛下が大神神社をご参拝され、「歌会始」でお詠いになられています。
---陛下の御歌---
三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めとす 祭りあらむ

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(スライド3)「若宮社」… 狭井神社より少し下っていきますと、もう一つ今までの話に結びつく神社があります。
・意富多多泥古命(おおたたねこ)をお祀りする「大直禰子神社(おおたたねこ神社)/若宮社」です。
・崇神天皇の世に流行した伝染病を救うために三輪山に大物主大神を祀る神主になった意富多多泥古を祭神とする神社です。
・「若宮社」の境内にこのような杉の木の幹があります。「おだまき杉」といわれ、大物主大神と活玉依毘売との恋物語にあった、麻糸を巻いた「おだまき」に由来する杉の木です。
・杉の幹が「おだまき」に似ていることからいわれていますが、どうしてこの地にそのような杉の木が生えてきたのでしょうか。
・いろいろの事柄が夢とロマンを秘めて、おおらかな話として伝わってきているというのも楽しいことではありませんか。

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(スライド4)「再び大和平野を望む(1)」… 大神神社境内をあとにして、再び大和平野を遠くから望んでみましょう。
・「大神神社の大鳥居」と「耳成山」。向こうの山脈は葛城連山。

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(スライド5)「再び大和平野を望む(2)… さらに視野を広げて眺めますと、左に「天の香具山」、右に「耳成山」、中央に「畝傍山」。こちら側が「三輪山」を背にしています。
・古代の人々より、私たちの現代まで愛され続けてきた、「美しい国・大和の国」がここにあるのです。

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(スライド6)「やまとは国のまほろば」… 古の時代よりのどかな風情がただよう私たちの心のふるさと、それが『やまとは国のまほろば』なのです。
この話のまとめとしまして、大和を詠った美しい歌を紹介しましょう。

---やまとたけるの歌---
やまとは国のまほろば たたなづく 青かき山ごもれる やまとし美(うるわ)し ・・・ 《倭建命》
・第12代景行天皇の皇子・倭健命は、天皇の命を受けて東国の荒ぶる神々を平定征服して、その帰りに鈴鹿の山で白いイノシシを神の使いと気が付かずに見過ごしたことから、冷たい氷雨に会って病に倒れました。その時に故郷の大和を想って詠ったのがこの歌でした。
・畝傍山と耳成山、そして葛城連山に並んで遠くに見える二上山。倭健命もきっとこの景色を思い浮かべていたことでしょう。

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(スライド7)「わたしの好きな日本」… ここまで「わたしの好きな日本」をご覧いただきました。
・『やまとは国のまほろば』を …… これにて“おしまいにします” ありがとうございました

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2009年3月 6日 (金)

【2】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その2)

 私の好きな日本の発表…その2』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大和三山から「三輪山」そして「大神神社(おおみわじんじゃ)」へ進んでいきます。では、その内容をどうぞご覧ください。
(『その1』はここからご覧ください)

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)「三諸の神奈備(みもろのかむなび)」…「三輪山」には「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」が鎮座いたしています。そして、この山は「三諸の神奈備」と言われています。
・三輪山については、「古事記」にあります「大物主大神」の話は興味深いものです。
---古事記のはなし---
・三輪山のふもとの村に、活玉依毘売(いくたまよりひめ)という美しい姫がおりました。その姫のもとに毎夜、青年が訪ねてきました。お互いに相手をいとおしく思うようになり、そのうち姫は身ごもりました。
・両親はたずねました。「姫や、お前は子供ができたようだね。夫もいないのにどうしてなんだね」。姫は答えて「名も知らない凛々しい若者が、毎夜、私のもとへ通ってきます。夜々を共に過すうち身ごもりました」。
・両親は青年の身許を知りたいと思って姫に教えました。「赤土を部屋に撒き、邪悪を払い除きなさい。そして、紡いだ麻糸を針に通して、男の着物の裾に射すのですよ」と。
・その夜やってきた青年に、姫は教えられたように着物の裾に針を射しました。 夜が明けると青年は消えていきました。麻糸は戸の鍵穴から通り抜けて、糸の先は三輪山にたどりついていたのでした。青年は三輪の大物主大神の化身だったのです。
・そうなのです、姫は神の子を孕んだのでした。
・あとに残された、糸巻きには三巻きの糸が残っていたのでした。この地を美和(三輪)ということになりました。

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(スライド2)「三輪山の美しい姿」…神の山「三輪山」の姿は、大和のどの位置から見ましても美しく拝めることができます。この美しい「三輪山」をしばしご覧ください。
・箸墓古墳は「卑弥呼」の墓との一説のある古墳です。崇神天皇の大叔母に当たる方で、「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」の墓です。
・日本書紀には「昼は人がつくり、夜は神がつくった」とあり、魏志倭人伝には「卑弥呼没後、大いに塚をつくる。径百余歩、旬葬するもの奴婢百余人」とある。
・邪馬台国はやはりこの地にあったのではないかと、夢を膨らませてくれます。

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(スライド3)「三輪山の万葉歌」…「三輪山」の美しい姿をご覧いただいたあとは、「三輪山」を詠った万葉歌をご覧ください。「額田王」がこのように美しく詠っています。
三輪山を 然も隠すか雲だにも 心あらなも 隠さふべしや … 《額田王》

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(スライド4)「大神神社(おおみわじんじゃ)」…ご覧いただきますのは「大物主大神」をお祀りする「大神神社」です。
・「大神神社」のご神体は「三輪山」です。この神社には本殿は設けられておらず、拝殿より三輪山を拝むという日本古来の自然崇拝の神祀りを昔から伝えられています。
・この「大神神社」のことにつきましても、古事記にあります「三輪山の神の始まり」の話をしてみましょう。
---古事記のはなし---
・崇神天皇の世に伝染病が流行して、人民が死に絶えそうになりました。天皇は心を悩まされ神託を受けて神の指図を仰がれました。
・そうすると三輪山の大物主大神が夢枕に現れて、「意富多多泥古(おおたたねこ)をもって私を祀らせたならば、神のたたりはおさまり、国も平らかになる」と告げられたのでした。
・天皇は意富多多泥古を探してきて神主として御諸山(みもろやま・三輪山)に意富美和之大神(おおみわのおかみ)を祀られたのでした。

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(スライド5)「大神神社参道を歩く」…神が宿る三輪山をお祀りする「大神神社」の参道を、皆様と一緒にゆっくりと歩いてみましょう。
---どうぞ次をクリックしてゆっくりと参道を歩いてください---

ここからスライドムービーで「参道を歩く」

(では、この続きは本シリーズの『その3』をご覧ください)

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2009年3月 5日 (木)

【1】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その1)

090305mahoroba_pre01   自作ドキュメンタリ-・わたしの好きな日本『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」を3/5(木)桔梗が丘公民館歴史サークル・「万葉の会」で発表しました。発表しましたドキュメンタリ作品はパワーポイントで作ったものですが、これは昨年8月にマイクロソフトのパソコン指導者資格検定を受験した際に検定課題として提出したもんですが、時間をかけて作った作品を死蔵するのももったいないことですので何らかの発表の機会を探していました。
 折も折から、公民館サークル活動として参加している「万葉の会」の学習内容にも関連します作品ですので、サークル会員の70数名の皆さんに見ていただく機会を得ることができました。パワーポイントのドキュメンタリーに私のナレーションでの23分間の発表でした。

 以下ご覧いただきますスチールはスライドページを掲載していますが、実際のページは音楽とアニメーションを使って画像がいろんな形での表現をしています。ブログではそれがご覧いただけないのが残念です。
 なお、それぞれのスライドのナレーションは要約で文字で書いておきましたが、興味のある方はどうぞお読みいただければと思います。
 それから、このブログは今回は第1回目(その1)で、このあと2回の合計3回に亘ってのシリーズで掲載します。同じく興味をもたれた方は引き続きご覧ください。

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)【表題】…私の好きな日本・『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」を発表します。発表者は水無月生です。

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(スライド2)【大和は私たちの心のふるさと】… 皆様は「大和」と聞かれますと、どのような思いを抱かれますかでしょうか。それぞれいろんな情景の感じ方がありますが、その中でも「ふるさと」を感じる面をお持ちになられる方も、多くおられると存じます。そうです。「大和は私たちの心のふるさと」でもあるのです。これから「大和」の中にある、古代日本より今の世に伝えられてきている「おおらかさ」と「望郷」を感じさせる、お話をしていきたいと思います。

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(スライド3)【大和三山の不思議】…大和平野を空から眺めてみましょう。今の世も昔と変わることなく、緑豊かな山に囲まれたたたずまいを見ることができます。この大和平野の南の方に目を向けますと、島のようにぽっかりと浮かんだ3つの山が見えてきます。
そうです「大和三山」です。平野の南東に位置する「大和三山」は「畝傍山」、「天の香具山」、「耳成山」の3つの山です。この3つの山は、古代から数々の神話や伝説を通して語りかけてくれます。
山々の位置関係は大自然が作り出した偶然なでしょうか、あるいは神々のなせる業なのでしょうか。3つの山の配置は「畝傍山」を頂点として、「天の香具山」と「耳成山」を底辺とする二等辺三角形を形成していまして、見事な調和の美をかもし出しているではありませんか。

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(スライド4)【大和三山を詠った歌】…古代の人々が大和三山に寄せた心のうちを、万葉集の中よりみてみましょう。
(1)大和三山を詠った歌で、よく知られているのが中大兄皇子のこの歌です。≪香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき神代より かくにあるらし古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそうつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき≫・・・《中大兄皇子》
・弟、大海人皇子と額田王をめぐって恋の争いをしたことを、大和三山に結びつけて詠ったといわれている歌です
(2)「畝傍山」を詠った歌はこの歌です。≪玉襷(たまだすき) 畝火の山の橿原の 日知(ひじり)の御代ゆ生(あ)れましし≫・・・《柿本人麻呂》
(3)「天の香具山」を詠ったこの歌は、あまりにも有名で多くの人に知られている歌です。≪春すぎて夏来るらし 白たへの 衣干したり天の香久山≫・・・《持統天皇》
・藤原の宮より「天の香具山」を眺めたときに、山麓いっぱいに干してある白い衣を見て、ああ、もう夏がやってきたのだなあという感じを詠っています。持統天皇の情景の感性がよくあらわれている歌と思います。
(4)ある乙女が3人の青年に愛の告白を受け、3人の愛を一緒に受け入れることができないことから、悩んだ末に耳成の池に身を投げました。その乙女を悲しんで詠った男の歌の一首です。≪耳無の 池し恨めし吾妹子(もこ)が 来つつ潜(かづ)かば 水は涸れなむ≫・・・《作者不詳》


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(スライド5)【神が宿る三輪山】…大和三山より東北方向に目を移しますと、その延長線上に「三輪山」が見えてきます。「三輪山」は「神が宿る山」と知られています。「三輪山」と大和三山の位置関係をご覧ください。大和三山で作られた三角形を突き刺すように、一直線に結んだその先が「三輪山」なのです。
これもまた、「不思議?」としか私には思えません。やっぱり、神のなせる業なのでしょうか。

(では、この続きは本シリーズの『その2』をご覧ください)

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2008年11月 1日 (土)

今年も正倉院展へ

 081031shosointen_ticket_2 奈良国立博物館で開催中の正倉院展を鑑賞してきました。今年で60回目になるそうです。1946年(昭和21)に第1回目が開催されています。敗戦の空虚な時期に日本国民に自信と誇りを取り戻すためには、このような貴重な宝物を見てもらうことが大きな効果を生み出すことになるとの考えではじめられたそうです。以来、毎年多くの人が鑑賞に訪れていますのはご存じのとおりです。
 3年ほど前から展覧会の運営は民間委託になっています。今までと異なった盛り上がりのある企画が催されるようになって、入場者数が今までの10万人台から20万人を超える賑わいになってきています。それはそれで結構なことですが、私たちはたくさんの人ごみの中での鑑賞になりますので、訪れる日と時間を考えなければならない状況にあります。
 私たち夫婦は10/31(金)に行きましたが、混雑はするものの待ち時間は20分程度で比較的恵まれた方だったかと思っています。前日10/30は天皇皇后両陛下のご鑑賞があったことですので、さぞかし大変な混雑ぶりだったことでしょう。

 今年もたくさんの宝物を鑑賞できました。
・「全浅香(ぜんせんこう)」…香木
・「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはっかくきょう)」…螺鈿飾りの鏡
・「古文書/筑前国嶋群川辺里戸籍」…天平時代の戸籍で、民百姓の戸籍が詳しく記載されている
・「古文書/役所の勤怠届」・・・病気欠勤届や、休暇延長願など今も昔も変わりのない働く人の様子がここからもわかります
その他等々興味あるものがいっぱいでした。

 いつものお決まりのコースとして、展覧会を見終えた後は、ボランティアガイドによる展示品の説明会を別室で聞くことにしています。オーバーヘッドスクリーンに展示品が映し出されて詳しく説明をしていただけます。見てきた後の興奮冷めやらないあとにこのように詳しく説明を聞くことで、余韻に浸ることができて非常にいいものです。

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【正倉院展開催の奈良国立博物館・別館】

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左:【正倉院展の案内掲示板】
右:【入場前の行列】…1列の長さ約40mで3列に折り返しでした。入場まで20分ほどでした

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【第2回、第4回の正倉院展ポスター】…読売新聞社の展覧会案内書テント内で撮影

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左:【楽しくわかるガイドブック「正倉院展」(読売新聞社発行)/250円】
右:【奈良の鹿】・・・奈良国立博物館の奈良公園内で

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2008年10月28日 (火)

宇流冨志禰神社の宵宮/三重県名張市より

081027yoimiya_00_uruhusine  10/27は三重県名張市の「宇流冨志禰神社(うるふしね神社)」の宵宮でした。名前が読みにくいということは、歴史のある古い神社ということになります。
 8月にこのブログで記しましたが、名張は畿内の東の端。そして、壬申の乱でご存じの天武天皇の時代には、この地は伊勢への街道の要所として登場してきます。その時代からある神社ですが、戦国時代には織田信長の伊賀攻めで、すべてを焼き尽くされたそうです。その後の名張は、伊勢・伊賀の領主となった藤堂高虎の所領となり、伊勢街道・長谷街道の宿場町として明治まで続くことになります。

 前置きはこれまでにして、「宇流冨志禰神社の宵宮」の話に進みます。名張の街なかの神社の氏子の4つの町が、それぞれ4つの『講』をつくっています。それぞれの講では毎年一つの家が「頭屋(とうや)」として祭りの大きな役割を担うことになります。そして頭屋の中の一つが神の子として祝いを受けることになります。それが「年頭子(ねんどご)」と呼ばれ、祭りの主役を務める神の子として選ばれることになるのです。
 宵宮では、講の人々が御旅所になっている愛宕神社から宇流冨志禰神社までの2kmの道を30分余りかけて巡行します。巡行は「ネンド、ネンド、ゴーエー」と繰り返しくり返し声を掛けながら、松明を先頭にかかげ、年頭子の後ろには裃(かみしも)姿にちょうちんを手に持った人々が100人ほど行列をつくって練り歩くことになるのです。

 今の時代になっても、町の中でこれだけの多くの人が裃姿になってお祝いをすることそのものが珍しいことですし、それぞれの家々で裃(かみしも)と袴(はかま)をこの日のために保管してあることも、素晴らしいことだと思います。このように昔からの伝統を町をあげてしっかり守っていること、そして、この町の人々に根付いていることに、この神社のお祭りの格式を感じた次第でした。

・・・(写真はクリックで拡大します)・・・

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【松明を先頭に集まってくる「頭屋(とうや)」の方々】・・・御旅所の愛宕神社

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左:【御旅所に集まった「頭屋」の方々】・・・これだけ多くの裃姿が集まると壮観です(愛宕神社)
右:【
祝いの酒をいただいている「年頭子(ねんどご)」の家族】・・・愛宕神社

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【獅子舞の奉納】・・・御旅所の愛宕神社

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左:【「年頭子(ねんどご)」を先頭に「宇流冨志禰神社」まで練り歩く「頭屋」の人たち】・・・街なか
右:【子供たちが鐘つきやぐらで、鐘をついて巡行を祝っています】・・・街なか

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左:【町の家々では軒先に提灯をつけ、「年頭子」巡行を祝っています】
右:【格式の高い家の門前の提灯】・・・提灯にも格式が表れています

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左:【一の鳥居】・・・宇流冨志禰神社(うるふしね神社)参道
右:【宵宮の屋台】・・・神社参道を埋め尽くして

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【大篝火(かがりび)の向こうの神社本殿】・・・宇流冨志禰神社

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【大篝火の向こうで、神事を待っている「頭屋」の人たち・・・宇流冨志禰神社拝殿

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【大篝火の勢い強く拝殿の幕が焼けてしまった】・・・宇流冨志禰神社拝殿

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2008年10月20日 (月)

飛鳥京跡発掘研究講座

081019tokubetuten_pamphlet 奈良県立橿原考古学研究所創立70周年記念行事の「秋季特別展・宮都飛鳥」が同研究所付属博物館で10/4(土)~11/30(日)の期間で開催されています。博物館での特別展と合わせて、その研究講座が10/19(日)開催されましたので参加してきました。

この日の講座は、次の2つの演題でした。
(1)飛鳥京跡の調査成果から 山田隆文さん(博物館学芸員)
(2)飛鳥京跡から出土した木簡 鶴見泰寿さん(橿考研学芸員)

 飛鳥京跡の発掘は50年前の1959年から始まり、現在まで159次の調査が行われています。いままでは文献から推定するだけだった宮殿の所在が、この調査が進むにつれて、その場所が不明だったいくつかの宮跡や宮殿遺構が発見され、天武天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)や飛鳥時代の歴代天皇の宮、等が特定されるようになっています。

 博物館での特別展では、飛鳥京跡の発掘調査の成果の紹介、祭祀遺跡や生産遺跡等に加えて、東アジアの都城遺跡の紹介も行われていました。展示品の数々は興味深いものばかりで、改めて飛鳥京の内容を知ることができました。

 研究講座は、2人の30代後半の若い考古学研究者の発表でした。有名な先生の講演と違って、今まで彼ら自身が研究に携わってきた事柄と勉強した成果を新鮮な形で発表していただけました。

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【畝傍山と橿考研・付属博物館】

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左:【橿原考古学研究所】
右:【橿考研内廊下で昼食】
・・講座開始は13:00より12:00開場なので、皆さん早々と入場して席確保の後、廊下で昼食です

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左:【研究講座の「飛鳥京跡の調査成果」発表の若い研究者】
右:【秋季特別展「宮都飛鳥」図録…90ページ】・・・700円で購入しました

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