文化・芸術

2010年1月 4日 (月)

お正月の狂言で初笑い

100103kyogen00  1/3(日)はお正月を古典芸能・狂言を妻と二人で楽しんで初笑いをしてきました。「新春天空狂言」が1月1日から3日間、大阪能芸会館での公演でした。人間国宝・茂山千作、茂山千之丞兄弟一門の大蔵流茂山千五郎家が勢揃いしての上演。

 この日の能舞台は面をつけない狂言でしたので、舞台前方の左右の柱は取り外されています。そういうことで、私たち観客にとっては舞台がよく見通せていて好都合でした。
 また、客席は超満員で出演者やそのスタッフには大入り袋が出たとのことでした。毎年のこの正月公演の「天空狂言」は人気がありチケットを手に入れるのが苦労するらしいですが、私たち夫婦は幸運だったといえます。といいますのは、JR西日本ジパング倶楽部のセミナー付きイベントを申し込んだからでした。

 そのようなことで、私たちのジパング倶楽部で申し込んだの者ばかりが、狂言の鑑賞前に「茂山あきらが語る狂言の世界」特別セミナーで、日本人の笑いの原点である狂言の世界をわかりやすく面白く語り聞かせてもらえました。

 狂言鑑賞は17:00~19:00の2時間。演目は次のようなものでした
(1)魚説経(うおぜっきょう)・・・にわか出家の僧の魚の名前ばかりを並べての説経が面白い
(2)止動方角(しどうほうがく)・・・暴れ癖のある馬をめぐって主人と太郎冠者のやり取りと主従逆転してのやり取りが大笑い
(3)福の神(ふくのかみ)・・・お正月らしく信心深い二人の男のところへ現れた福の神が酒を飲むめでたいお話

 ということでした。古典芸能といっても「狂言」は語り言葉がゆっくりと大声なので、古い言葉であっても私には理解しやすく馴染みやすいですね。その点、、「能」は言葉の表現が解りにくいのが難点です。多分、同じ日本人であっても100年余り前の人々はきっちりと理解していたのでしょうね。私にとっては、謡われる言葉をしっかりと聞きとることができなくて、能の世界をじっくりと楽しむことができないのが悔しい思いです。

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左:【新春天空狂言の番組表紙】
右:【新春天空狂言の演目】

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【満員の観客席と能舞台】・・・狂言は面をつけませんので、舞台正面左右の柱が取り払われています。能のときは面をつけると視界が狭くなるため、役者は柱を目印に演じるらしいです(公演前のセミナーで聞きました)

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左:【新春天空狂言の3日目の入場券・2枚】
右:【大阪能楽会館】

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2009年12月 3日 (木)

若冲ワンダーランド特別展/MIHO MUSEUM

091203miho_01_2   京都新聞主催の「若冲ワンダーランド秋季特別展」がMIHO MUSEUMで開催されていましたので、12/3(木)に鑑賞してきました。江戸時代中期の画家『伊藤若冲(じゃくちゅう)(1726-1800)はこの10年ほど人気を高めてきているそうです。

 展覧会場のビデオでの説明によりますと、若冲は京都錦小路(今の錦市場)で青物問屋「枡屋」を営んでいて40歳で隠居後、絵の道に没頭したとのことです。狩野派で学びその画法に飽き足らず実物写生に移行し、写実と独創的な想像を組み合わせた描き方に発展していったそうです。当初は模写から始まり、数十羽の鶏を庭で放し飼いにして写生をしていたとか。そして花や鳥、動物を独創的な筆タッチでの写生に芸域を広げていったとのことです。
 鶏の水墨画展示もたくさんありました。どの絵を見ましても鶏の普段のしぐさが実にリアルに描かれていて、本当に楽しく鑑賞できました。

 この展覧会では、昨年夏に北陸の旧家で発見された、若冲の「象と鯨図屏風」が初公開されていました。象や鯨が奇抜に描画されていて、その情景は素人の私であっても興味深く見ごたえのあるものでした。ここに描かれている象は、その当時に南蛮より渡来した象が長崎から江戸へ運ぶ際に、京で天皇に謁見したとのことです。若冲もその際に見ることができたのだろうと思います。

 MIHO MUSEUMは滋賀県・信楽の山岳地帯にあります。神慈秀明会の会主のコレクションの展示館として建設されています。この美術館の壮大さと豪華な美しさと清潔さには圧倒されます。その物すごさはどうぞ写真でご覧ください。そして、美術館へ行くまでの道のりもまた驚きそのものでした。
 まず最初に駐車場に到着して、そこから歩いて「レセプション棟」に入ります。ここで入場券を買いますと、玄関より電動カートで送ってくれます。そしてゆったりした桜並木を通って、高速道路並みの大きな、そして200mほどの長さのトンネルに入ります。トンネルをくぐりぬけますと、深い谷があって谷には100m以上の大きな吊り橋が、そしてその向こうに美術館が見えてくるのです。まさに、桃源郷に進んでいくという感じでした。500mほどのゆったりとした道のりのプロムナードです。
 美術館そのものも目を見張るものです。館内の壁や床はすべて大理石。豪華なお城の中に入った感覚でした。そして、建物の建設状態が通常とは違っています。自然環境との調和を考慮して建造物の80%は地中に埋めているとの説明でした。
 美術館の入場料は1,000円。会場への送り迎えの電動カートや館内のスタッフ、そして建造物の初期投資費と維持費用を考えますと、到底採算の合うものではないと思います。神慈秀明会の財力の底深さがそれを可能にしているのでしょうが、人ごとながら気になることでした。

 鑑賞した若冲の水墨画の「不思議な世界」-ワンダーランド。絵ごころにはまったく通じていない私でも、興味深く興奮を覚えましたのですが、会場のMIHO MUSEUMの豪華さにはいままで体験したいろんな事柄を超えるものすごさを見せられた思いでした。

 この、「若冲ワンダーランド」秋季特別展は、12/13(日)まで開催しています。興味を覚えられました方は、是非足を運んでいただければと思います。

【写真はクリックで拡大します】

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【若冲ワンダーランド展】・・・会場へ豪華な階段を上って進む

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【MIHO MUSEUM正面】・・・送迎の電動カート内より写す

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左:【美術館玄関ロビー】・・・正面には形よく手入れされた松の木が
右:【館内】・・・壁や床はすべて大理石の豪華そのもの

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【館内よりの風景】・・・水墨画を見る思いの山また山。向こうの山に僅かに見えるのが神慈秀明会の建物だそうです

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左:【美術館のレセプション棟】・・・まずここで入場券を買う
右:【送迎電動カート】・・・レセプション棟よりこのカートで送迎。500mの道をトンネルを通り吊り橋を渡って美術館へ

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左:【美術館へのトンネル入り口】・・・トンネルまでは桜並木
右:【トンネル内】・・・長さ200mほどある

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【吊り橋より美術館を】・・・トンネルを抜けて吊り橋にかかると美術館が見える。建造物の80%は地中に埋められて、自然環境との調和を考慮している

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2009年10月25日 (日)

サークル作品展示/公民館展1日目第2部

091024sakuhintenji00  名張市・桔梗が丘公民館展の「サークル作品展示」が10/24(土)~25(日)の二日間で催されました。公民館での生涯学習として自主活動をしていますサークルの中から、今年は28サークルが参加しました。サークル活動をしておられる方々は、活動の成果を発表するために、毎年この日を目標に作品作りに励んでいます。その晴れの舞台の作品の数々は一点一点を掲載できませんが、展示会場の雰囲気を写真でご覧いただきたいと思います。

 参加サークルの分野別の概要を紹介しますと、「絵画」、「水墨画」、「書道」、「陶芸」、「手芸」、「俳句」、「川柳」、「和歌」、「古代史」、「古代文学」、「パソコン」、等々の多岐にわたっています。

(写真はクリックで拡大します)

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【パソコンサークルブース】・・・パソコンサークルは3サークルが活動しています。その2つのサークルが展示発表です。桔梗パソコンクラブは「ハロウィーン」をテーマとした写真作品とシール作品を発表。かがやきパソコンはデジカメ撮影した素材写真を使ってフォトムービーを各自が制作。合わせて9点のムービーをメドレー形式で実演上映

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左:【万葉の会】・・・今年の例会で訪ね歩いた万葉歌を詠った土地・遺跡の紹介
右:【かみしばい】・・・人形劇団「ゆめぶくろ」による紙芝居の上演

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【展示会場(1)】・・・陶芸・絵画・書道・その他

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左:【展示会場(2)】・・・陶芸・絵画・その他
右:【展示会場(3)】・・・伊勢型紙

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左:【展示会場(4)】・・・俳句・川柳・和歌
右:【展示会場(5)】・・・書道

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【展示作品(6)】・・・生花・書道

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左:【展示作品(7)】・・・ソーイング・絵画
右:【展示目録】

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2009年10月23日 (金)

今日は公民館展の準備作業

 今日は公民館展準備作業でした。三重県名張市・桔梗が丘公民館では、10/24(土)~10/25(日)の二日間に公民館展を開催します。公民館展とは、公民館活動をしています自主学習サークルの発表の場です。1年間の活動成果を、演技関連のサークルは舞台発表、手芸・書道・美術・生花・和歌・その他学習サークルは作品発表や成果発表を展示します。
 桔梗が丘公民館ではこの自主サークルが120サークルほど活動していまして、今年の参加したサークルは、舞台発表部門で20サークル、展示発表部門では28サークルでの成果発表になります。

 今年で25回目を迎えます公民館展は、5か月前から実行委員会でもって企画を進めてきました。そして今日が本番前の準備の日になりました。発表に参加しなかったサークルからも応援をもらって、それこそワイワイガヤガヤ、人ひとの人海戦術で大騒ぎの中にも楽しく賑やかに充実した準備作業の一日でした。

 その準備作業の模様の写真をご覧ください。それから、私・水無月生が講師を担当していますパソコンサークルの発表もあります。サークルメンバーの方々はパソコン勉強の成果として、フォトムービーを各自で作成しました。その掲載はまた後ほどこのブログで紹介します。

【写真はクリックで拡大します】

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左:【準備作業前の公民館長のあいさつ】
右:【屋外でのバザー売り場用テント張り】

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左:【展示用パネルの運搬作業】・・・人海戦術で列をなして運搬
右:【パネル組み立て】・・・持ち場持ち場で作業に専念

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左:【展示準備(1)】・・・万葉集の「万葉の会」古代文学の「萌黄」ほか
右:【展示準備(2)】・・・桔梗水墨画クラブ

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左:【展示準備(3)】・・・陶芸の桔梗が丘陶香クラブ
右:【展示準備(4)】・・・俳句のさくら句会

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左:【展示準備(5)】・・・桔梗が丘絵画クラブ
右:【展示準備(6)】・・・パソコンの「桔梗パソコンクラブ」「かがやきパソコン」の2サークル

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【展示準備完了】・・・フォトムービー上映の大型モニターとパソコンをセットして確認試写中の「かがやきパソコン」

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2009年10月16日 (金)

一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねて

091015asakurasi_00  10/15(木)は福井県・越前の「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪ねてきました。前日は「永平寺」を参観して芦原温泉泊。一乗谷は室町時代後半から100余年の朝倉氏5代の居館とその町並み遺跡です。
 朝倉孝景が越前を平定して北陸の小京都として奈良・京都の貴族や僧侶を迎えて文化の花が開き、5代目の義景が織田信長に敗れて城下町が灰燼に帰すまでの、繁栄の歴史が残っている遺跡です。ここは福井県の特別史跡として発掘と復原がなされています。

 復原された町並みや、商人の家、武家屋敷は興味深く散策ができて結構楽しく見物できました。町並みは、戦国時代の城下町が具体的に見物することができます。庶民や武士の生活ぶりを目にしながら想像できるのはおもしろいです。その面白く感じたところを拾い出してみます。
(1)町の家々は周囲が排水溝で囲まれて排水がきっちりされている
(2)それぞれの家々には「井戸」が備わっていました
(3)商人の家の柱や棟木の表面は「カンナ掛け」がなされていなくて、「チョウナ」で削った粗削りのままなのが面白い。また、生活空間は居間兼寝室と店の間だけ。そして屋根は板葺きで重しの石がのせてある
(4)武家屋敷の敷地は広く300坪ほどあって、区画が整然とされている
(5)武家屋敷の台所は豊かさが感じられる。面白いのは便所だった。大便器は正面扉の方向を向いている。敵に襲われないように見張りができるためなんだろうと思いました
(6)町並みの通りは防御のためどこの城下町と同じように、直線で見通しができないようにカギ形に曲がったりT字路、行き止まり等の工夫がみられる
 ★その他にもいろいろな興味をもって見るものがたくさんありますがこれぐらいにします。

 資料館も見物して、4時間ほどの500年の昔へのタイムスリップ。復原遺跡の通りには戦国時代の町娘に扮した女の人や町人がいて、より楽しさの演出もしていました。

【写真はクリックで拡大します】

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【町家】…家の前と横には排水溝、屋根は板葺きに重しの石

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左:【商人の家の店先】…窓は格子のまま。夜や雨には雨戸を下ろす
右:【柱や棟木の表面】…角木材の表面は「チョウナ」仕上げの粗削り

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左:【町割りの通り】…左右は武家屋敷。通りの先はカギ形に曲がっている
右:【武家屋敷の門】…商人の家とは違いがある

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【武家屋敷跡】…敷地は整然と区画され、面積は300坪ほど

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【武家屋敷の台所】…囲炉裏の間に納戸、窓には障子があり水準の高さが分かる

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【武家屋敷の便所】…大便器が正面扉向きで敵に備えるようになっている

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【朝倉氏の居館跡の門】

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【朝倉氏の屋敷跡】

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【朝倉氏の庭園跡】…荒々しい石の庭園の「湯殿跡庭園」

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2009年10月 6日 (火)

休館日の特別観覧/神戸市立博物館

 10/5(月)神戸市立博物館は休館日。しかしその日に特別観覧がかないました。いま、この博物館ではシアトル美術館所蔵の日本・東洋美術名品展「美しきアジアの玉手箱」が開催中です。シアトル美術館の東洋美術品コレクションの中から98件が出展しています。江戸末期から明治時代にかけて国外流出した名品の数々でした。これらのものが日本に残っていたら重要文化財に指定されるようなものばかりでした。
 休館日で120名限定ですので人ごみ越しの観覧にはならずじっくりと鑑賞できましたが、惜しむらくは観覧時間が1時間だったので、もう少し時間をかけて見たいという心が残りました。

 どうしてこういう機会に巡り合えたかといいますと、JR西日本ジパング倶楽部の会員用企画だったのです。私の妻がジパング倶楽部の会員です。そんなことで、この日の午後、120名ずつの2部制で、30分の特別セミナーでスクリーンに映し出した展示品の解説を聞かせてもらってから、1時間の鑑賞となりました。素晴らしい名品の数々を押し合いっこなしに鑑賞できたのは幸せなことでした。
 興味をもたれた方は、12/6(日)まで開催していますので、どうぞ、お出かけになってください。また、webサイトは次からご覧いただけます。http://seattle-kobe.jp/

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【美しきアジアの玉手箱展パンフレット】…左が表・右が裏側

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左:【神戸市立博物館入場前】…休館日でしたので、受付時間まで開門していただけません
右:【ジパング倶楽部の企画案内切り抜き】

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左:【観覧後に買って帰った展示品の絵葉書】
右:博物館へは神戸・三宮より徒歩十分ほど。三宮商店街を通って行きました

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2009年5月 5日 (火)

餅まきに氏子が大集合/桔梗が丘・鹿島宮例大祭

090505saiten3  5月5日は名張市桔梗が丘・鹿島宮の例大祭でした。住宅団地内のこのお宮さん、神事儀式の後は恒例の餅まきです。氏子をはじめ近隣住民の大人も子供もが大集合。壇の上から境内に向かってまかれるお餅を、うまく空中でキャッチする人や、地面に落ちたのを運良く拾った人など、皆さんわいわいがやがや楽しいひと時の獲得合戦でした。

 200名余りの氏子の方々は、準備されたテント内の椅子に座って厳かに神事に参列。毎年参列される武道場の氏子は剣道着を着用しての勇ましさです。
 桔梗が丘・鹿島宮は茨城県の鹿島神宮より祭神が分祀されて36年になりました。比較的新しいお宮さんながら、すっかり住宅団地に定着した様子です。

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【餅まき】・・・楽しむ氏子と近隣住民の方々

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【お供えのお餅】…このお餅をがまかれました

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【子供達には手渡しでお菓子を】

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左:【宮司入場】
右:【祝詞奏上】

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左:【参列者】・・・武道場氏子さんは剣道着を着用して
右:【玉串奉奠】・・・氏子代表の玉串奉奠

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【玉串と神饌】・・・氏子の方々に奉奠された玉串と神殿には神饌が

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2009年4月 6日 (月)

日本最初の文字が書かれた土器

090402uresinosiryokan_1  日本最初の文字が書かれたという「墨書土器」の見学を先週の4/2(木)に嬉野ふるさと会館へ行ってきました。私たちの万葉の会4月例会です。この墨書土器は1995年(平成7年)と1999年(平成11年)に発見された話をご存じの方も多いと思います。三重県嬉野町(うれしの町)の片部遺跡と貝蔵遺跡で『田』と墨書された2つの土器と、人面らしきものを書かれた土器です。
090402bokushodoki_3  日本で書かれた文字の古いものは遺跡からたくさん発掘されていますが、ほとんどのものは飛鳥時代600年代の木簡がよく知られています。しかし、それ以前の日本では文字は本当に使われていたのだろうかという確証は得られていませんでした。それが、この片部・貝蔵遺跡の土器に書かれた墨書が証明してくれたことになります。
 貝蔵遺跡の土器は一つは西暦100年代末、あとの一つの片部遺跡のは西暦300年代初めのものだそうです。ちょうど卑弥呼の時代に重なります。そんなことで、この墨書土器は弥生時代の様子に夢と想像をふくらませてくれる楽しい材料を与えてもらいました。

 片部・貝蔵遺跡は近鉄中川駅周辺になります。長谷街道がここを通っていまして、大和・長谷から伊勢への街道筋になります。やっぱり、そんな時代から大和と伊勢が密接に結びついていたことと、この地域が物資の交流と経済的に重要な役割を果たしていたということも改めて認識できると思います。近鉄の線路がこの中川駅で大阪伊勢方面と名古屋方面の分岐点になっているのも同様にうなずけることでしょう。

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【墨書土器-1】『田』の文字をご覧ください。1995年(平成7)12月貝蔵遺跡で発掘。西暦300年代の土器

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【墨書土器-2】これも『田』の文字をご覧ください。1999年(平成11年)12月片部遺跡で発掘

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左:嬉野町歴史資料館で墨書土器の説明を聞く
右:展示物を熱心に見入る「万葉の会」メンバー

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左:【嬉野町歴史資料館】…うれしのふるさと会館内
右:【資料館内の展示室】

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2009年3月 7日 (土)

【3】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その3)

 私の好きな日本の発表…『その3』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大神神社(おおみわじんじゃ)境内を歩いて再び「ヤマト平野」を望みます。では、その内容をどうぞご覧ください。
『その1』 『その2』 はこちらよりご覧ください)

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)「巳の神杉」… 拝殿のすぐ横には「巳の神杉」がお祀りされています。
・今も人々はここには神の使いの「白いヘビ」が住んでいると信じ、お参りする人が絶えません。
---巳の神杉のはなし---

・古代の人々は、三輪山には斧入れないで神の宿る森として保存してきました。
・山に立ち昇る霧や雲に神意を感じ、山から流れ出てくる水により農作物を作り、日々の暮らしを潤してもらえたのでした。
・杉の根元には巳さんが住んでいたことから、山内に棲む蛇を神の使いと信じたのでしょう。

・蛇は、水神、雷神でもありますので、人々は農業神、五穀豊穣の神として霊験を感じたことだと思います。

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(スライド2)「狭井神社」… 神社境内を奥に入っていきますと、たくさんの摂社が鎮座されている中でも、狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおかみあらたま神社)は格別な存在です。
・狭井神社では、無病息災を祈る祭りとして「鎮花祭」が毎年春に催されています。先に話しました崇神天皇の世に蔓延した伝染病を鎮めるために、このお祭りが今の世まで続いています。
・狭井とは「神聖な井戸」のことで、霊泉が湧き出ていまして、「くすり水」として多くの人に利用されています。
・境内には「皇后陛下の御歌歌碑」があります。陛下が大神神社をご参拝され、「歌会始」でお詠いになられています。
---陛下の御歌---
三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めとす 祭りあらむ

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(スライド3)「若宮社」… 狭井神社より少し下っていきますと、もう一つ今までの話に結びつく神社があります。
・意富多多泥古命(おおたたねこ)をお祀りする「大直禰子神社(おおたたねこ神社)/若宮社」です。
・崇神天皇の世に流行した伝染病を救うために三輪山に大物主大神を祀る神主になった意富多多泥古を祭神とする神社です。
・「若宮社」の境内にこのような杉の木の幹があります。「おだまき杉」といわれ、大物主大神と活玉依毘売との恋物語にあった、麻糸を巻いた「おだまき」に由来する杉の木です。
・杉の幹が「おだまき」に似ていることからいわれていますが、どうしてこの地にそのような杉の木が生えてきたのでしょうか。
・いろいろの事柄が夢とロマンを秘めて、おおらかな話として伝わってきているというのも楽しいことではありませんか。

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(スライド4)「再び大和平野を望む(1)」… 大神神社境内をあとにして、再び大和平野を遠くから望んでみましょう。
・「大神神社の大鳥居」と「耳成山」。向こうの山脈は葛城連山。

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(スライド5)「再び大和平野を望む(2)… さらに視野を広げて眺めますと、左に「天の香具山」、右に「耳成山」、中央に「畝傍山」。こちら側が「三輪山」を背にしています。
・古代の人々より、私たちの現代まで愛され続けてきた、「美しい国・大和の国」がここにあるのです。

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(スライド6)「やまとは国のまほろば」… 古の時代よりのどかな風情がただよう私たちの心のふるさと、それが『やまとは国のまほろば』なのです。
この話のまとめとしまして、大和を詠った美しい歌を紹介しましょう。

---やまとたけるの歌---
やまとは国のまほろば たたなづく 青かき山ごもれる やまとし美(うるわ)し ・・・ 《倭建命》
・第12代景行天皇の皇子・倭健命は、天皇の命を受けて東国の荒ぶる神々を平定征服して、その帰りに鈴鹿の山で白いイノシシを神の使いと気が付かずに見過ごしたことから、冷たい氷雨に会って病に倒れました。その時に故郷の大和を想って詠ったのがこの歌でした。
・畝傍山と耳成山、そして葛城連山に並んで遠くに見える二上山。倭健命もきっとこの景色を思い浮かべていたことでしょう。

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(スライド7)「わたしの好きな日本」… ここまで「わたしの好きな日本」をご覧いただきました。
・『やまとは国のまほろば』を …… これにて“おしまいにします” ありがとうございました

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2009年3月 6日 (金)

【2】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その2)

 私の好きな日本の発表…その2』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大和三山から「三輪山」そして「大神神社(おおみわじんじゃ)」へ進んでいきます。では、その内容をどうぞご覧ください。
(『その1』はここからご覧ください)

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)「三諸の神奈備(みもろのかむなび)」…「三輪山」には「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」が鎮座いたしています。そして、この山は「三諸の神奈備」と言われています。
・三輪山については、「古事記」にあります「大物主大神」の話は興味深いものです。
---古事記のはなし---
・三輪山のふもとの村に、活玉依毘売(いくたまよりひめ)という美しい姫がおりました。その姫のもとに毎夜、青年が訪ねてきました。お互いに相手をいとおしく思うようになり、そのうち姫は身ごもりました。
・両親はたずねました。「姫や、お前は子供ができたようだね。夫もいないのにどうしてなんだね」。姫は答えて「名も知らない凛々しい若者が、毎夜、私のもとへ通ってきます。夜々を共に過すうち身ごもりました」。
・両親は青年の身許を知りたいと思って姫に教えました。「赤土を部屋に撒き、邪悪を払い除きなさい。そして、紡いだ麻糸を針に通して、男の着物の裾に射すのですよ」と。
・その夜やってきた青年に、姫は教えられたように着物の裾に針を射しました。 夜が明けると青年は消えていきました。麻糸は戸の鍵穴から通り抜けて、糸の先は三輪山にたどりついていたのでした。青年は三輪の大物主大神の化身だったのです。
・そうなのです、姫は神の子を孕んだのでした。
・あとに残された、糸巻きには三巻きの糸が残っていたのでした。この地を美和(三輪)ということになりました。

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(スライド2)「三輪山の美しい姿」…神の山「三輪山」の姿は、大和のどの位置から見ましても美しく拝めることができます。この美しい「三輪山」をしばしご覧ください。
・箸墓古墳は「卑弥呼」の墓との一説のある古墳です。崇神天皇の大叔母に当たる方で、「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」の墓です。
・日本書紀には「昼は人がつくり、夜は神がつくった」とあり、魏志倭人伝には「卑弥呼没後、大いに塚をつくる。径百余歩、旬葬するもの奴婢百余人」とある。
・邪馬台国はやはりこの地にあったのではないかと、夢を膨らませてくれます。

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(スライド3)「三輪山の万葉歌」…「三輪山」の美しい姿をご覧いただいたあとは、「三輪山」を詠った万葉歌をご覧ください。「額田王」がこのように美しく詠っています。
三輪山を 然も隠すか雲だにも 心あらなも 隠さふべしや … 《額田王》

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(スライド4)「大神神社(おおみわじんじゃ)」…ご覧いただきますのは「大物主大神」をお祀りする「大神神社」です。
・「大神神社」のご神体は「三輪山」です。この神社には本殿は設けられておらず、拝殿より三輪山を拝むという日本古来の自然崇拝の神祀りを昔から伝えられています。
・この「大神神社」のことにつきましても、古事記にあります「三輪山の神の始まり」の話をしてみましょう。
---古事記のはなし---
・崇神天皇の世に伝染病が流行して、人民が死に絶えそうになりました。天皇は心を悩まされ神託を受けて神の指図を仰がれました。
・そうすると三輪山の大物主大神が夢枕に現れて、「意富多多泥古(おおたたねこ)をもって私を祀らせたならば、神のたたりはおさまり、国も平らかになる」と告げられたのでした。
・天皇は意富多多泥古を探してきて神主として御諸山(みもろやま・三輪山)に意富美和之大神(おおみわのおかみ)を祀られたのでした。

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(スライド5)「大神神社参道を歩く」…神が宿る三輪山をお祀りする「大神神社」の参道を、皆様と一緒にゆっくりと歩いてみましょう。
---どうぞ次をクリックしてゆっくりと参道を歩いてください---

ここからスライドムービーで「参道を歩く」

(では、この続きは本シリーズの『その3』をご覧ください)

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