文化・芸術

2009年10月25日 (日)

サークル作品展示/公民館展1日目第2部

091024sakuhintenji00  名張市・桔梗が丘公民館展の「サークル作品展示」が10/24(土)~25(日)の二日間で催されました。公民館での生涯学習として自主活動をしていますサークルの中から、今年は28サークルが参加しました。サークル活動をしておられる方々は、活動の成果を発表するために、毎年この日を目標に作品作りに励んでいます。その晴れの舞台の作品の数々は一点一点を掲載できませんが、展示会場の雰囲気を写真でご覧いただきたいと思います。

 参加サークルの分野別の概要を紹介しますと、「絵画」、「水墨画」、「書道」、「陶芸」、「手芸」、「俳句」、「川柳」、「和歌」、「古代史」、「古代文学」、「パソコン」、等々の多岐にわたっています。

(写真はクリックで拡大します)

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【パソコンサークルブース】・・・パソコンサークルは3サークルが活動しています。その2つのサークルが展示発表です。桔梗パソコンクラブは「ハロウィーン」をテーマとした写真作品とシール作品を発表。かがやきパソコンはデジカメ撮影した素材写真を使ってフォトムービーを各自が制作。合わせて9点のムービーをメドレー形式で実演上映

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左:【万葉の会】・・・今年の例会で訪ね歩いた万葉歌を詠った土地・遺跡の紹介
右:【かみしばい】・・・人形劇団「ゆめぶくろ」による紙芝居の上演

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【展示会場(1)】・・・陶芸・絵画・書道・その他

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左:【展示会場(2)】・・・陶芸・絵画・その他
右:【展示会場(3)】・・・伊勢型紙

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左:【展示会場(4)】・・・俳句・川柳・和歌
右:【展示会場(5)】・・・書道

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【展示作品(6)】・・・生花・書道

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左:【展示作品(7)】・・・ソーイング・絵画
右:【展示目録】

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2009年10月23日 (金)

今日は公民館展の準備作業

 今日は公民館展準備作業でした。三重県名張市・桔梗が丘公民館では、10/24(土)~10/25(日)の二日間に公民館展を開催します。公民館展とは、公民館活動をしています自主学習サークルの発表の場です。1年間の活動成果を、演技関連のサークルは舞台発表、手芸・書道・美術・生花・和歌・その他学習サークルは作品発表や成果発表を展示します。
 桔梗が丘公民館ではこの自主サークルが120サークルほど活動していまして、今年の参加したサークルは、舞台発表部門で20サークル、展示発表部門では28サークルでの成果発表になります。

 今年で25回目を迎えます公民館展は、5か月前から実行委員会でもって企画を進めてきました。そして今日が本番前の準備の日になりました。発表に参加しなかったサークルからも応援をもらって、それこそワイワイガヤガヤ、人ひとの人海戦術で大騒ぎの中にも楽しく賑やかに充実した準備作業の一日でした。

 その準備作業の模様の写真をご覧ください。それから、私・水無月生が講師を担当していますパソコンサークルの発表もあります。サークルメンバーの方々はパソコン勉強の成果として、フォトムービーを各自で作成しました。その掲載はまた後ほどこのブログで紹介します。

【写真はクリックで拡大します】

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左:【準備作業前の公民館長のあいさつ】
右:【屋外でのバザー売り場用テント張り】

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左:【展示用パネルの運搬作業】・・・人海戦術で列をなして運搬
右:【パネル組み立て】・・・持ち場持ち場で作業に専念

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左:【展示準備(1)】・・・万葉集の「万葉の会」古代文学の「萌黄」ほか
右:【展示準備(2)】・・・桔梗水墨画クラブ

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左:【展示準備(3)】・・・陶芸の桔梗が丘陶香クラブ
右:【展示準備(4)】・・・俳句のさくら句会

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左:【展示準備(5)】・・・桔梗が丘絵画クラブ
右:【展示準備(6)】・・・パソコンの「桔梗パソコンクラブ」「かがやきパソコン」の2サークル

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【展示準備完了】・・・フォトムービー上映の大型モニターとパソコンをセットして確認試写中の「かがやきパソコン」

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2009年10月16日 (金)

一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねて

091015asakurasi_00  10/15(木)は福井県・越前の「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪ねてきました。前日は「永平寺」を参観して芦原温泉泊。一乗谷は室町時代後半から100余年の朝倉氏5代の居館とその町並み遺跡です。
 朝倉孝景が越前を平定して北陸の小京都として奈良・京都の貴族や僧侶を迎えて文化の花が開き、5代目の義景が織田信長に敗れて城下町が灰燼に帰すまでの、繁栄の歴史が残っている遺跡です。ここは福井県の特別史跡として発掘と復原がなされています。

 復原された町並みや、商人の家、武家屋敷は興味深く散策ができて結構楽しく見物できました。町並みは、戦国時代の城下町が具体的に見物することができます。庶民や武士の生活ぶりを目にしながら想像できるのはおもしろいです。その面白く感じたところを拾い出してみます。
(1)町の家々は周囲が排水溝で囲まれて排水がきっちりされている
(2)それぞれの家々には「井戸」が備わっていました
(3)商人の家の柱や棟木の表面は「カンナ掛け」がなされていなくて、「チョウナ」で削った粗削りのままなのが面白い。また、生活空間は居間兼寝室と店の間だけ。そして屋根は板葺きで重しの石がのせてある
(4)武家屋敷の敷地は広く300坪ほどあって、区画が整然とされている
(5)武家屋敷の台所は豊かさが感じられる。面白いのは便所だった。大便器は正面扉の方向を向いている。敵に襲われないように見張りができるためなんだろうと思いました
(6)町並みの通りは防御のためどこの城下町と同じように、直線で見通しができないようにカギ形に曲がったりT字路、行き止まり等の工夫がみられる
 ★その他にもいろいろな興味をもって見るものがたくさんありますがこれぐらいにします。

 資料館も見物して、4時間ほどの500年の昔へのタイムスリップ。復原遺跡の通りには戦国時代の町娘に扮した女の人や町人がいて、より楽しさの演出もしていました。

【写真はクリックで拡大します】

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【町家】…家の前と横には排水溝、屋根は板葺きに重しの石

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左:【商人の家の店先】…窓は格子のまま。夜や雨には雨戸を下ろす
右:【柱や棟木の表面】…角木材の表面は「チョウナ」仕上げの粗削り

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左:【町割りの通り】…左右は武家屋敷。通りの先はカギ形に曲がっている
右:【武家屋敷の門】…商人の家とは違いがある

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【武家屋敷跡】…敷地は整然と区画され、面積は300坪ほど

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【武家屋敷の台所】…囲炉裏の間に納戸、窓には障子があり水準の高さが分かる

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【武家屋敷の便所】…大便器が正面扉向きで敵に備えるようになっている

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【朝倉氏の居館跡の門】

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【朝倉氏の屋敷跡】

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【朝倉氏の庭園跡】…荒々しい石の庭園の「湯殿跡庭園」

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2009年10月 6日 (火)

休館日の特別観覧/神戸市立博物館

 10/5(月)神戸市立博物館は休館日。しかしその日に特別観覧がかないました。いま、この博物館ではシアトル美術館所蔵の日本・東洋美術名品展「美しきアジアの玉手箱」が開催中です。シアトル美術館の東洋美術品コレクションの中から98件が出展しています。江戸末期から明治時代にかけて国外流出した名品の数々でした。これらのものが日本に残っていたら重要文化財に指定されるようなものばかりでした。
 休館日で120名限定ですので人ごみ越しの観覧にはならずじっくりと鑑賞できましたが、惜しむらくは観覧時間が1時間だったので、もう少し時間をかけて見たいという心が残りました。

 どうしてこういう機会に巡り合えたかといいますと、JR西日本ジパング倶楽部の会員用企画だったのです。私の妻がジパング倶楽部の会員です。そんなことで、この日の午後、120名ずつの2部制で、30分の特別セミナーでスクリーンに映し出した展示品の解説を聞かせてもらってから、1時間の鑑賞となりました。素晴らしい名品の数々を押し合いっこなしに鑑賞できたのは幸せなことでした。
 興味をもたれた方は、12/6(日)まで開催していますので、どうぞ、お出かけになってください。また、webサイトは次からご覧いただけます。http://seattle-kobe.jp/

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【美しきアジアの玉手箱展パンフレット】…左が表・右が裏側

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左:【神戸市立博物館入場前】…休館日でしたので、受付時間まで開門していただけません
右:【ジパング倶楽部の企画案内切り抜き】

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左:【観覧後に買って帰った展示品の絵葉書】
右:博物館へは神戸・三宮より徒歩十分ほど。三宮商店街を通って行きました

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2009年5月 5日 (火)

餅まきに氏子が大集合/桔梗が丘・鹿島宮例大祭

090505saiten3  5月5日は名張市桔梗が丘・鹿島宮の例大祭でした。住宅団地内のこのお宮さん、神事儀式の後は恒例の餅まきです。氏子をはじめ近隣住民の大人も子供もが大集合。壇の上から境内に向かってまかれるお餅を、うまく空中でキャッチする人や、地面に落ちたのを運良く拾った人など、皆さんわいわいがやがや楽しいひと時の獲得合戦でした。

 200名余りの氏子の方々は、準備されたテント内の椅子に座って厳かに神事に参列。毎年参列される武道場の氏子は剣道着を着用しての勇ましさです。
 桔梗が丘・鹿島宮は茨城県の鹿島神宮より祭神が分祀されて36年になりました。比較的新しいお宮さんながら、すっかり住宅団地に定着した様子です。

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【餅まき】・・・楽しむ氏子と近隣住民の方々

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【お供えのお餅】…このお餅をがまかれました

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【子供達には手渡しでお菓子を】

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左:【宮司入場】
右:【祝詞奏上】

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左:【参列者】・・・武道場氏子さんは剣道着を着用して
右:【玉串奉奠】・・・氏子代表の玉串奉奠

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【玉串と神饌】・・・氏子の方々に奉奠された玉串と神殿には神饌が

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2009年4月 6日 (月)

日本最初の文字が書かれた土器

090402uresinosiryokan_1  日本最初の文字が書かれたという「墨書土器」の見学を先週の4/2(木)に嬉野ふるさと会館へ行ってきました。私たちの万葉の会4月例会です。この墨書土器は1995年(平成7年)と1999年(平成11年)に発見された話をご存じの方も多いと思います。三重県嬉野町(うれしの町)の片部遺跡と貝蔵遺跡で『田』と墨書された2つの土器と、人面らしきものを書かれた土器です。
090402bokushodoki_3  日本で書かれた文字の古いものは遺跡からたくさん発掘されていますが、ほとんどのものは飛鳥時代600年代の木簡がよく知られています。しかし、それ以前の日本では文字は本当に使われていたのだろうかという確証は得られていませんでした。それが、この片部・貝蔵遺跡の土器に書かれた墨書が証明してくれたことになります。
 貝蔵遺跡の土器は一つは西暦100年代末、あとの一つの片部遺跡のは西暦300年代初めのものだそうです。ちょうど卑弥呼の時代に重なります。そんなことで、この墨書土器は弥生時代の様子に夢と想像をふくらませてくれる楽しい材料を与えてもらいました。

 片部・貝蔵遺跡は近鉄中川駅周辺になります。長谷街道がここを通っていまして、大和・長谷から伊勢への街道筋になります。やっぱり、そんな時代から大和と伊勢が密接に結びついていたことと、この地域が物資の交流と経済的に重要な役割を果たしていたということも改めて認識できると思います。近鉄の線路がこの中川駅で大阪伊勢方面と名古屋方面の分岐点になっているのも同様にうなずけることでしょう。

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【墨書土器-1】『田』の文字をご覧ください。1995年(平成7)12月貝蔵遺跡で発掘。西暦300年代の土器

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【墨書土器-2】これも『田』の文字をご覧ください。1999年(平成11年)12月片部遺跡で発掘

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左:嬉野町歴史資料館で墨書土器の説明を聞く
右:展示物を熱心に見入る「万葉の会」メンバー

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左:【嬉野町歴史資料館】…うれしのふるさと会館内
右:【資料館内の展示室】

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2009年3月 7日 (土)

【3】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その3)

 私の好きな日本の発表…『その3』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大神神社(おおみわじんじゃ)境内を歩いて再び「ヤマト平野」を望みます。では、その内容をどうぞご覧ください。
『その1』 『その2』 はこちらよりご覧ください)

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)「巳の神杉」… 拝殿のすぐ横には「巳の神杉」がお祀りされています。
・今も人々はここには神の使いの「白いヘビ」が住んでいると信じ、お参りする人が絶えません。
---巳の神杉のはなし---

・古代の人々は、三輪山には斧入れないで神の宿る森として保存してきました。
・山に立ち昇る霧や雲に神意を感じ、山から流れ出てくる水により農作物を作り、日々の暮らしを潤してもらえたのでした。
・杉の根元には巳さんが住んでいたことから、山内に棲む蛇を神の使いと信じたのでしょう。

・蛇は、水神、雷神でもありますので、人々は農業神、五穀豊穣の神として霊験を感じたことだと思います。

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(スライド2)「狭井神社」… 神社境内を奥に入っていきますと、たくさんの摂社が鎮座されている中でも、狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおかみあらたま神社)は格別な存在です。
・狭井神社では、無病息災を祈る祭りとして「鎮花祭」が毎年春に催されています。先に話しました崇神天皇の世に蔓延した伝染病を鎮めるために、このお祭りが今の世まで続いています。
・狭井とは「神聖な井戸」のことで、霊泉が湧き出ていまして、「くすり水」として多くの人に利用されています。
・境内には「皇后陛下の御歌歌碑」があります。陛下が大神神社をご参拝され、「歌会始」でお詠いになられています。
---陛下の御歌---
三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めとす 祭りあらむ

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(スライド3)「若宮社」… 狭井神社より少し下っていきますと、もう一つ今までの話に結びつく神社があります。
・意富多多泥古命(おおたたねこ)をお祀りする「大直禰子神社(おおたたねこ神社)/若宮社」です。
・崇神天皇の世に流行した伝染病を救うために三輪山に大物主大神を祀る神主になった意富多多泥古を祭神とする神社です。
・「若宮社」の境内にこのような杉の木の幹があります。「おだまき杉」といわれ、大物主大神と活玉依毘売との恋物語にあった、麻糸を巻いた「おだまき」に由来する杉の木です。
・杉の幹が「おだまき」に似ていることからいわれていますが、どうしてこの地にそのような杉の木が生えてきたのでしょうか。
・いろいろの事柄が夢とロマンを秘めて、おおらかな話として伝わってきているというのも楽しいことではありませんか。

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(スライド4)「再び大和平野を望む(1)」… 大神神社境内をあとにして、再び大和平野を遠くから望んでみましょう。
・「大神神社の大鳥居」と「耳成山」。向こうの山脈は葛城連山。

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(スライド5)「再び大和平野を望む(2)… さらに視野を広げて眺めますと、左に「天の香具山」、右に「耳成山」、中央に「畝傍山」。こちら側が「三輪山」を背にしています。
・古代の人々より、私たちの現代まで愛され続けてきた、「美しい国・大和の国」がここにあるのです。

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(スライド6)「やまとは国のまほろば」… 古の時代よりのどかな風情がただよう私たちの心のふるさと、それが『やまとは国のまほろば』なのです。
この話のまとめとしまして、大和を詠った美しい歌を紹介しましょう。

---やまとたけるの歌---
やまとは国のまほろば たたなづく 青かき山ごもれる やまとし美(うるわ)し ・・・ 《倭建命》
・第12代景行天皇の皇子・倭健命は、天皇の命を受けて東国の荒ぶる神々を平定征服して、その帰りに鈴鹿の山で白いイノシシを神の使いと気が付かずに見過ごしたことから、冷たい氷雨に会って病に倒れました。その時に故郷の大和を想って詠ったのがこの歌でした。
・畝傍山と耳成山、そして葛城連山に並んで遠くに見える二上山。倭健命もきっとこの景色を思い浮かべていたことでしょう。

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(スライド7)「わたしの好きな日本」… ここまで「わたしの好きな日本」をご覧いただきました。
・『やまとは国のまほろば』を …… これにて“おしまいにします” ありがとうございました

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2009年3月 6日 (金)

【2】ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』を発表(その2)

 私の好きな日本の発表…その2』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大和三山から「三輪山」そして「大神神社(おおみわじんじゃ)」へ進んでいきます。では、その内容をどうぞご覧ください。
(『その1』はここからご覧ください)

【スライドとナレーション/要約】

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(スライド1)「三諸の神奈備(みもろのかむなび)」…「三輪山」には「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」が鎮座いたしています。そして、この山は「三諸の神奈備」と言われています。
・三輪山については、「古事記」にあります「大物主大神」の話は興味深いものです。
---古事記のはなし---
・三輪山のふもとの村に、活玉依毘売(いくたまよりひめ)という美しい姫がおりました。その姫のもとに毎夜、青年が訪ねてきました。お互いに相手をいとおしく思うようになり、そのうち姫は身ごもりました。
・両親はたずねました。「姫や、お前は子供ができたようだね。夫もいないのにどうしてなんだね」。姫は答えて「名も知らない凛々しい若者が、毎夜、私のもとへ通ってきます。夜々を共に過すうち身ごもりました」。
・両親は青年の身許を知りたいと思って姫に教えました。「赤土を部屋に撒き、邪悪を払い除きなさい。そして、紡いだ麻糸を針に通して、男の着物の裾に射すのですよ」と。
・その夜やってきた青年に、姫は教えられたように着物の裾に針を射しました。 夜が明けると青年は消えていきました。麻糸は戸の鍵穴から通り抜けて、糸の先は三輪山にたどりついていたのでした。青年は三輪の大物主大神の化身だったのです。
・そうなのです、姫は神の子を孕んだのでした。
・あとに残された、糸巻きには三巻きの糸が残っていたのでした。この地を美和(三輪)ということになりました。

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(スライド2)「三輪山の美しい姿」…神の山「三輪山」の姿は、大和のどの位置から見ましても美しく拝めることができます。この美しい「三輪山」をしばしご覧ください。
・箸墓古墳は「卑弥呼」の墓との一説のある古墳です。崇神天皇の大叔母に当たる方で、「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」の墓です。
・日本書紀には「昼は人がつくり、夜は神がつくった」とあり、魏志倭人伝には「卑弥呼没後、大いに塚をつくる。径百余歩、旬葬するもの奴婢百余人」とある。
・邪馬台国はやはりこの地にあったのではないかと、夢を膨らませてくれます。

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(スライド3)「三輪山の万葉歌」…「三輪山」の美しい姿をご覧いただいたあとは、「三輪山」を詠った万葉歌をご覧ください。「額田王」がこのように美しく詠っています。
三輪山を 然も隠すか雲だにも 心あらなも 隠さふべしや … 《額田王》

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(スライド4)「大神神社(おおみわじんじゃ)」…ご覧いただきますのは「大物主大神」をお祀りする「大神神社」です。
・「大神神社」のご神体は「三輪山」です。この神社には本殿は設けられておらず、拝殿より三輪山を拝むという日本古来の自然崇拝の神祀りを昔から伝えられています。
・この「大神神社」のことにつきましても、古事記にあります「三輪山の神の始まり」の話をしてみましょう。
---古事記のはなし---
・崇神天皇の世に伝染病が流行して、人民が死に絶えそうになりました。天皇は心を悩まされ神託を受けて神の指図を仰がれました。
・そうすると三輪山の大物主大神が夢枕に現れて、「意富多多泥古(おおたたねこ)をもって私を祀らせたならば、神のたたりはおさまり、国も平らかになる」と告げられたのでした。
・天皇は意富多多泥古を探してきて神主として御諸山(みもろやま・三輪山)に意富美和之大神(おおみわのおかみ)を祀られたのでした。

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(スライド5)「大神神社参道を歩く」…神が宿る三輪山をお祀りする「大神神社」の参道を、皆様と一緒にゆっくりと歩いてみましょう。
---どうぞ次をクリックしてゆっくりと参道を歩いてください---

ここからスライドムービーで「参道を歩く」

(では、この続きは本シリーズの『その3』をご覧ください)

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2008年11月 1日 (土)

今年も正倉院展へ

 081031shosointen_ticket_2 奈良国立博物館で開催中の正倉院展を鑑賞してきました。今年で60回目になるそうです。1946年(昭和21)に第1回目が開催されています。敗戦の空虚な時期に日本国民に自信と誇りを取り戻すためには、このような貴重な宝物を見てもらうことが大きな効果を生み出すことになるとの考えではじめられたそうです。以来、毎年多くの人が鑑賞に訪れていますのはご存じのとおりです。
 3年ほど前から展覧会の運営は民間委託になっています。今までと異なった盛り上がりのある企画が催されるようになって、入場者数が今までの10万人台から20万人を超える賑わいになってきています。それはそれで結構なことですが、私たちはたくさんの人ごみの中での鑑賞になりますので、訪れる日と時間を考えなければならない状況にあります。
 私たち夫婦は10/31(金)に行きましたが、混雑はするものの待ち時間は20分程度で比較的恵まれた方だったかと思っています。前日10/30は天皇皇后両陛下のご鑑賞があったことですので、さぞかし大変な混雑ぶりだったことでしょう。

 今年もたくさんの宝物を鑑賞できました。
・「全浅香(ぜんせんこう)」…香木
・「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはっかくきょう)」…螺鈿飾りの鏡
・「古文書/筑前国嶋群川辺里戸籍」…天平時代の戸籍で、民百姓の戸籍が詳しく記載されている
・「古文書/役所の勤怠届」・・・病気欠勤届や、休暇延長願など今も昔も変わりのない働く人の様子がここからもわかります
その他等々興味あるものがいっぱいでした。

 いつものお決まりのコースとして、展覧会を見終えた後は、ボランティアガイドによる展示品の説明会を別室で聞くことにしています。オーバーヘッドスクリーンに展示品が映し出されて詳しく説明をしていただけます。見てきた後の興奮冷めやらないあとにこのように詳しく説明を聞くことで、余韻に浸ることができて非常にいいものです。

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【正倉院展開催の奈良国立博物館・別館】

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左:【正倉院展の案内掲示板】
右:【入場前の行列】…1列の長さ約40mで3列に折り返しでした。入場まで20分ほどでした

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【第2回、第4回の正倉院展ポスター】…読売新聞社の展覧会案内書テント内で撮影

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左:【楽しくわかるガイドブック「正倉院展」(読売新聞社発行)/250円】
右:【奈良の鹿】・・・奈良国立博物館の奈良公園内で

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2008年10月28日 (火)

宇流冨志禰神社の宵宮/三重県名張市より

081027yoimiya_00_uruhusine  10/27は三重県名張市の「宇流冨志禰神社(うるふしね神社)」の宵宮でした。名前が読みにくいということは、歴史のある古い神社ということになります。
 8月にこのブログで記しましたが、名張は畿内の東の端。そして、壬申の乱でご存じの天武天皇の時代には、この地は伊勢への街道の要所として登場してきます。その時代からある神社ですが、戦国時代には織田信長の伊賀攻めで、すべてを焼き尽くされたそうです。その後の名張は、伊勢・伊賀の領主となった藤堂高虎の所領となり、伊勢街道・長谷街道の宿場町として明治まで続くことになります。

 前置きはこれまでにして、「宇流冨志禰神社の宵宮」の話に進みます。名張の街なかの神社の氏子の4つの町が、それぞれ4つの『講』をつくっています。それぞれの講では毎年一つの家が「頭屋(とうや)」として祭りの大きな役割を担うことになります。そして頭屋の中の一つが神の子として祝いを受けることになります。それが「年頭子(ねんどご)」と呼ばれ、祭りの主役を務める神の子として選ばれることになるのです。
 宵宮では、講の人々が御旅所になっている愛宕神社から宇流冨志禰神社までの2kmの道を30分余りかけて巡行します。巡行は「ネンド、ネンド、ゴーエー」と繰り返しくり返し声を掛けながら、松明を先頭にかかげ、年頭子の後ろには裃(かみしも)姿にちょうちんを手に持った人々が100人ほど行列をつくって練り歩くことになるのです。

 今の時代になっても、町の中でこれだけの多くの人が裃姿になってお祝いをすることそのものが珍しいことですし、それぞれの家々で裃(かみしも)と袴(はかま)をこの日のために保管してあることも、素晴らしいことだと思います。このように昔からの伝統を町をあげてしっかり守っていること、そして、この町の人々に根付いていることに、この神社のお祭りの格式を感じた次第でした。

・・・(写真はクリックで拡大します)・・・

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【松明を先頭に集まってくる「頭屋(とうや)」の方々】・・・御旅所の愛宕神社

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左:【御旅所に集まった「頭屋」の方々】・・・これだけ多くの裃姿が集まると壮観です(愛宕神社)
右:【
祝いの酒をいただいている「年頭子(ねんどご)」の家族】・・・愛宕神社

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【獅子舞の奉納】・・・御旅所の愛宕神社

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左:【「年頭子(ねんどご)」を先頭に「宇流冨志禰神社」まで練り歩く「頭屋」の人たち】・・・街なか
右:【子供たちが鐘つきやぐらで、鐘をついて巡行を祝っています】・・・街なか

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左:【町の家々では軒先に提灯をつけ、「年頭子」巡行を祝っています】
右:【格式の高い家の門前の提灯】・・・提灯にも格式が表れています

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左:【一の鳥居】・・・宇流冨志禰神社(うるふしね神社)参道
右:【宵宮の屋台】・・・神社参道を埋め尽くして

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【大篝火(かがりび)の向こうの神社本殿】・・・宇流冨志禰神社

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【大篝火の向こうで、神事を待っている「頭屋」の人たち・・・宇流冨志禰神社拝殿

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【大篝火の勢い強く拝殿の幕が焼けてしまった】・・・宇流冨志禰神社拝殿

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2008年10月20日 (月)

飛鳥京跡発掘研究講座

081019tokubetuten_pamphlet 奈良県立橿原考古学研究所創立70周年記念行事の「秋季特別展・宮都飛鳥」が同研究所付属博物館で10/4(土)~11/30(日)の期間で開催されています。博物館での特別展と合わせて、その研究講座が10/19(日)開催されましたので参加してきました。

この日の講座は、次の2つの演題でした。
(1)飛鳥京跡の調査成果から 山田隆文さん(博物館学芸員)
(2)飛鳥京跡から出土した木簡 鶴見泰寿さん(橿考研学芸員)

 飛鳥京跡の発掘は50年前の1959年から始まり、現在まで159次の調査が行われています。いままでは文献から推定するだけだった宮殿の所在が、この調査が進むにつれて、その場所が不明だったいくつかの宮跡や宮殿遺構が発見され、天武天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)や飛鳥時代の歴代天皇の宮、等が特定されるようになっています。

 博物館での特別展では、飛鳥京跡の発掘調査の成果の紹介、祭祀遺跡や生産遺跡等に加えて、東アジアの都城遺跡の紹介も行われていました。展示品の数々は興味深いものばかりで、改めて飛鳥京の内容を知ることができました。

 研究講座は、2人の30代後半の若い考古学研究者の発表でした。有名な先生の講演と違って、今まで彼ら自身が研究に携わってきた事柄と勉強した成果を新鮮な形で発表していただけました。

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【畝傍山と橿考研・付属博物館】

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左:【橿原考古学研究所】
右:【橿考研内廊下で昼食】
・・講座開始は13:00より12:00開場なので、皆さん早々と入場して席確保の後、廊下で昼食です

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左:【研究講座の「飛鳥京跡の調査成果」発表の若い研究者】
右:【秋季特別展「宮都飛鳥」図録…90ページ】・・・700円で購入しました

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2008年10月10日 (金)

山田法胤薬師寺副住職の講演/公民館行事・パート4

081005yamadahouin_kouen3  桔梗が丘公民館改修記念行事報告・パート4、2日目の10/5(日)午後は記念行事のメインイベントです。薬師寺・山田法胤 副住職をお招きして『名張の里と白鳳文化』と題した講演です。日ごろ多忙な中の山田法胤氏ですが、桔梗が丘公民館の改修記念イベントに快く講演を引き受けていただきました。講堂には椅子を当初200席準備しましたが、結局50席増やし超満員の盛況でした。

 講演のテーマの『名張の里』は天武天皇の皇女「大来皇女(おおくのひめみこ)」ゆかりの地であり、白鳳時代とは深いかかわりのあるところです。また、薬師寺は天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良皇后(うののさらら皇后)の病気平癒を祈願し飛鳥の地に創建され、その後、平城遷都でいまの地に移されています。

 白鳳時代に関しての文献からの話を、興味深く面白く聞かせていただきました。話の中身はこのことが全体の約1/3、残りの2/3はその時代の出来事を今の社会情勢に照らし合わせて、私たちの日頃の生き方や考え方に対して、仏の道、お釈迦さんの教典から見てどのように生きていったらよいかの話しを、約2時間の講演で面白おかしく私たちを笑わせながら聞かせていただけました。
その中の数例を紹介しますと、
●勝つ者は恨みを受ける、負けるのは夜も眠られず、勝つと負けるを離れると安らかになる
●他人のよこしま(邪ま)を見るなかれ、彼が何をなさざるかを言うべからず、我が何をなすべきかを思うべし
●福は徳をもって招く。貪(どん・むさぼる)はよろずのものを欲しがる。貧(ひん・まずしい)はお金を分ける

 その他にも興味の尽きない話がたくさんありましたが、省略いたします。それにしても、偉いお坊さんという方は、当然ですが博識そのものですね。朝は4時に起床してお参りされるそうです。そして夜は早く就寝されるとか。忙しい毎日でこのような日課の中、いつ勉強されるのでしょうか。そして世間の雑学や他愛のない話題や情報もたくさんお持ちになっている。私にとっては、感心することしきりでした。

★これにて「公民館改修記念行事報告パート1~4」を終えます。この次に私たちが活躍しました、「裏方稼業・番外編(1)~(3)」を投稿いたします。引き続きご覧になってください。

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【会場は超満員の講演会風景】

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【山田法胤副住職の入場】

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【演壇の山田法胤副住職】

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左:【名張市長も駆けつけて開演前の挨拶】
右:【公民館長の開会挨拶】

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2008年10月 9日 (木)

コーラス競演を楽しむ/公民館行事・パート3

081005chorus_program  桔梗が丘公民館改修記念行事報告・パート3は、2日目の10/5(日)です。昨日までの小中学生のイベントから、この日の午前中は大人たちが元気いっぱいサークル活動しています、4つのコーラスサークルの華やかな『コーラスの競演』です。女性コーラスサークルが2つ、男女混声サークルが1つ、男性コーラスサークルが1つ、がそれぞれの歌声を競い合ってくれました。競演は約1時間30分、聴衆の皆さんとともに楽しい時間を過ごしました。

 いずれのサークルも中高年者以上の年配者で構成しています。皆さん歳はとっても日ごろからお腹の底から声を出しているからでしょうか、年齢を感じさせない溌剌さと、活力を感じさせてくれます。練習の活動も活発で、毎週練習を重ねていますサークルもあり、よくもそれだけ時間がとれることだと感心しています。
また、女性サークルの一つの「桔梗秋桜(コスモス)の会」は相当な腕前のサークルでして、各地からのお呼びがかかることも度々あり、練習と公演に多忙な日を送っているそうです。
(本日の出演サークル)
・桔梗南さわやかサークル(男女混声)
・さくらんぼ(女性)
・桔梗秋桜(コスモス)の会(女性)
・グリークラブ(男性)

 そのような歌声に生き甲斐を感じておられるサークルの方々の、華やかなパーフォーマンスを写真から想像してください。

 なおちなみに、裏方稼業の私は舞台の進行役を担当しまして、公演中は時計とプログラムをにらめっこしながら、目一杯の活躍をいたしましたでございます。

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左:【さわやかな歌声を楽しむ聴衆の方々】
右:【出番待ちの出演者】

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【男女混声コーラスの「桔梗南さわやか」】

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【フルートの伴奏も加わって「さくらんぼ」 】

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【数段上の腕前の「桔梗秋桜(コスモス)の会」 】

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【男性コーラスの「グリークラブ」】

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2008年9月 8日 (月)

明石で人麻呂の万葉歌を詠う(万葉の会9月例会/第3報)

 畿内の西端・明石の「万葉の会9月例会/第3報」は『明石で柿本人麻呂の万葉歌を詠う』です。東経135度子午線上を歩いて、この日の本来の目的であります明石を詠んだ柿本人麻呂の万葉歌碑を訪ねました。
●まず最初は「月照寺」をご覧ください

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左:【月照寺山門と明石天文科学館塔】…400年前の建物と現代科学を表す塔のコントラスト
・月照寺山門は1593年(文禄3)京都伏見城の薬医門として建られ、後にこの地に移築したもの
右:【月照寺】…江戸時代初期に元は明石城のところにあったが、城の建設により移築された


●最初の柿本人麻呂の万葉歌碑は「月照寺」の「山門」前にあります

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---ともしびの明石 大門に入らむ日や
       漕ぎ別れなむ 家のあたりみず
---
                   (柿本人麻呂)

●この歌をみんなで揃って朗詠したあと、月照寺をお参りしてその次は、「柿本神社」へ。

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左:【柿本神社/鳥居】…この付近が人麻呂生誕地と伝えらている。そして、石見(いわみ)で没している
右:【柿本神社社殿】

●神社境内には万葉歌碑が4基据えられています。そのうちの三つを紹介します

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---天離る(あまざかる) 夷の長通ゆ
    恋ひ来れば
       明石の門より 大和島見ゆ
---
                        (柿本人麻呂)

・ここで詠っている「大和島」とは、瀬戸内の明石海峡から難波の津(大阪)を見た時に大和の生駒・葛城連山があたかも大きな島のように見えることからの情景です。
・その当時、西海道(今の九州)へ赴いた人や、防人として出兵した人が、故郷へ戻ってくるときに瀬戸内海を通って明石まで来て、大和島が見えるということは本当に故郷へ帰ってきたという実感を抱いたことだろうと思います。
・そのような人々が恋い焦がれていた故郷はもうすぐだと、舟の上で小躍りしている情景が目に浮かぶような歌だと感じ取れます。

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---大君は 神にしませば あまくもの
       雷の上に いほりせるかも
---

---あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の
      ながながし夜を ひとりかも寝む
---
                     (柿本人麻呂)
                     

今回の投稿が、「畿内の西端・明石」の山場になります。この後は「明石の街中散策」と「畿内の東端」への帰路の報告になります。残り2回も引き続きよろしくお願いいたします。

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2008年9月 5日 (金)

畿内の東端から西端へ(万葉の会9月例会/第1報)

9/4(木)は「万葉の会」9月例会でした。参加者54名で、三重県名張から兵庫県明石へ行ってきました。
080904_1_akasi_start 名張は「畿内の東の端」そして明石は「畿内の西の端」です。総距離は140km、バスで2.5時間の行程です。
「畿内」とは、ご存知の方が多いのですが、その範囲は案外知られていないですので少し紹介します。「畿内の東の端」は名張市の名張川なのです。大和時代には『東は名墾(名張)の横河』、『西は赤石(明石)の櫛淵』と定められました。
大昔の人がこの距離を山川を越えて歩けば3日はたっぷりとかかったのではないかと思いますが、それを想像しながらのバスの旅をしました。
参考として「北の端は」近江の逢坂山、「南の端」は紀伊の兄山(紀ノ川中流)。

明石では、明石城-文化博物館-月照寺-子午線標柱-柿本神社-魚の棚を見て回りました。
それぞれの事柄はまた別の日に掲載します。今日のところはその手始めの写真8枚をご覧ください。

080904_1_akasi_siro
【明石城】…巽櫓(南東側)、坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)。天守閣は建てられなかったそうです

080904_1_akasi_museum 080904_1_akasi_musasi
:【明石市立文化博物館】
:【宮本武蔵(明石市文化博物館)】…城内の庭園や城下の町割りは武蔵の設計によるとのこと

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アカシゾウ(明石市文化博物館)】…明石で発見されたゾウの化石。200万年前から60万年前ごろまで日本で生息していたらしい。アジアの今の象よりは小さく、絶滅している種

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【明石市街】…宮本武蔵が町割り設計したした現在の明石市街。左に明石大橋が見える

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:【源平合戦「両馬川旧跡」】…一の谷の合戦ののち、ここまで落ち延びた薩摩守忠度が岡部六弥太と戦ったところ。今は山陽電車のガードの下
:【妙見社】…下の写真の面白い川柳句碑のあったお寺

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【明石鯛の川柳句碑】…今の食品偽装の時世を反映していて面白い川柳です。
---どの鯛も 明石で獲れた 顔をする---(助六)
・今も昔もすること考えることは同じようですね

ではまた、次の投稿でお会いしましょう。

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2008年8月31日 (日)

文楽を鑑賞しました/国立文楽劇場

080831bunraku_gekijo2 先月のことでした。妻と二人で、文楽鑑賞をしてきました。
大阪・日本橋の国立文楽劇場で、「夏休み文楽特別公演」の名作劇場/近松門左衛門作・『お夏清十郎五十年忌歌念仏』と、同じく近松門左衛門作・『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』でした。
 入場料金4,600円/1人、公演時間は3時間。義大夫が語る場面場面のなかでの物語の情景に浸り、三味線の響きに陶酔し、まるで本080831bunraku_ticket物の人間が演じているような感覚に見えてしまう人形の動きに見入りながら、たっぷりと浄瑠璃の世界を堪能したきました。

 出し物の『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』は夫を裏切った妻が他の男と密通した話。今の時代なら、世間でいくらでも見ることができる出来事ですが、江戸時代ではそうはいかない。姦通すれば手討ちは当たり前のこと。そんなことで、夫は逃げた妻と男を追い続ける。やっと見つけた所は京・伏見。その夜は夏祭りの盆踊り、鐘や太鼓に合わせて人々が浮かれて踊っている。そんな伏見京橋の河原で、妻仇討を果たすという物語。

久し振りの文楽に行こうと思ったきっかけは、妻が会員になっていますJR西日本の「ジパング倶楽部」の特別企画があり申し込みをしました。そんなことで、通常の入場なら舞台鑑賞のみになりますが、公演の前には別の小劇場での「お囃子解説」付きでした。普段目にすることにない技や、物語に臨場感を生み出す効果音の出し方、等々を興味深く説明してもらえました。

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左:(大阪日本橋・国立文楽劇場)
右:(文楽劇場ロビー)

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(夏休み特別公演の芝居絵)

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左:(劇場の緞帳と客席)
右:(客席は満席)

080831bunraku_yuka
(浄瑠璃義大夫と三味線を演じる「床
(ゆか)」)
  
・・・義大夫の語りと三味線引きの舞台を「ゆか」といいます

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2008年8月27日 (水)

2008年度/名張市民囲碁大会

 2008年度「名張市民囲碁大会」を開催しました。今年で23回目を迎えます。その大会風景をお届けします。
今年の「名張市民囲碁大会」は、8/3(日)に桔梗が丘南公民館で開催しました。名張市内の各地区の公民館で活動しています囲碁サークルの、年一回の合同囲碁競技会ということになります。

 今年の大会は54名の参加でした。残念ながら一つの地区では行事と日程が重なり、例年より少なめの人数となりました。大会は、四段以上の「高段位グループ」が4リーグ、「二・三段位グループ」が4リーグ、「初段・級位グループ」が4リーグで、それぞれのグループ内の予選リーグ戦で4局の対局を行います。
 予選を勝ち上がったそれぞれのグループのリーグ1位者の4名は、次にはグループ別に決勝トーナメントを行います。3つのグループの決勝トーナメントに勝ち上がった方12名には、優勝から4位まで賞品をお渡しします。また、優勝者には優勝カップをお渡ししまして、翌年にはそのレプリカをお渡しすることにしています。
 今年も少年棋士1名が参加して、大人に交じって大活躍でした。私・水無月生は「桔梗が丘囲碁同好会」所属で参加しました。残念ながら力およばず予選敗退でした。
 
 大会は、朝8:45から受付。9:30より大会開始、17:30頃に全てを終了しました。丸一日の囲碁三昧を、囲碁を愛する仲間が集まって楽しく過ごしました。

 例年この大会は各公民館囲碁サークルの代表者で「実行委員会」を作り大会準備から運営までを行っています。また、水無月生はこの実行委員会事務局を担当していまして、対局の組合せわせやその他の大会関連の事務作業を行っています。例年とも大会前の2カ月ほどは準備作業に追われる日が続きます。今年は特に、先に記載していました「ICTマスター資格検定」の勉強と重なり目の回るような多忙な2ヶ月間でした。
 今年の暑い長い夏は、忙しさに翻弄される毎日でしたが、大きな仕事二つがやっと終わって、ほっとした日の解放感を味わっています。

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(名張市民囲碁大会・対局開始全景)

080803siminigo2 080803siminigo3
左:(対局は、対局時計を使って真剣そのもの)
右:(少年棋士/おじいさんを相手に石打つ手の指がしなる)

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(決勝の対局ともなると観戦者の人だかり)

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(優勝カップと優勝~4位の賞品)

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2008年4月 4日 (金)

花の吉野はまだつぼみ/万葉の会

 吉野山桜情報は、「花の吉野はまだつぼみ」でした。
昨日4/3(木)、吉野に行ってきました。「上千本はつぼみかたし」、「中千本はつぼみ膨らむ」、「下千本はつぼみやや膨らむ」といずこも開花はもう少し先のようでした。毎年4月中旬に下千本が開花、1週間ごとに中千本、上千本、奥千本と順次進んで、5月連休まで楽しめます。
 上千本から中千本の蔵王堂方面を見渡すと、桜は枝を鑑賞するだけ。つぼみの色がほんのりと霞のように桜の木を包んでいました。

 というところですが、この日は「桔梗が丘公民館・万葉の会」の新年度のサークル活動の始まりでした。その第1回目のこの日は吉野の万葉歌碑を訪ねました。バスで宮滝まで行き、「櫻木神社」を参拝。象(きさ)の小川を眺めながら「吉野宮滝万葉の道」を、上千本まで人一人がやっとの幅の山道4.6kmを1.5時間かけて歩きました。

 上千本では「水分(みくまり)神社参拝の後、上千本から吉野の桜を見渡して、下千本までは下りばかりの吉野山散策道を、2時間かけてゆっくり楽しみました。

 (吉野山のフォトアルバムをご覧ください)
     
…写真はクリックで拡大します

080403yosino_kamisenbon 上千本からの眺め(手前が上千本・向こうが蔵王堂付近の中千本)

080403yosino_kamisenbon_macro 上千本は「つぼみ固し」

080403yosino_nakasenbon_macro 中千本は「つぼみ膨らむ」

080403yosino_simosenbon_macro 下千本は「つぼみやや膨らむ」

080403yosino_simosenbon 下千本(開花したらこの辺りは花見の宴席がぎっしり)

080403yosino_yumenowada 080403yosino_sakuragijinja  (宮滝・夢のわだ/渓谷)        (櫻木神社)

080403yosino_kisanoogawa 080403yosino_miyataki_manyomichi  (象《きさ》の小川)          (吉野宮滝万葉の道)

080403yosino_miyataki_manyomichi_ta 080403yosino_miyataki_manyomichi_ch (高滝/宮滝万葉の道)        (頂上/宮滝万葉の道)

080403yosino_kozakura_amasikannon 080403yosino_genpeizaki(桜の古木の根からまた桜/雨師観音堂) (源平咲きの梅)

080403yosino_ayususimise 080403yosino_daranisukemise  (桜あゆすしの店先)        (陀羅尼助の店の中)

080403yosino_zaozou_2  蔵王堂(桜の開花はまだ先) 

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2008年3月12日 (水)

東大寺お水取りの「松明奉納」

 奈良・東大寺二月堂のお水取り行事はご存じのことですが、毎年3月12日~14日の執り行われる。関西では、お水取りが終わって春が来るといわれている。祭典の中でも豪壮な行事が、松明(たいまつ)から降り注ぐ滝のような火の粉、参拝者は驚嘆しながら見入っている。このお水取りに欠かせない松明についてが今日の記事です

 この松明を毎年寄進しているのが、三重県名張市赤目町一の井地区からです。この一の井の「松明講」の人々が、「松明(たいまつ)」を手作りしてお水取りの行事に合わせて寄進している。「松明」の寄進は750年以上の歴史があるといわれている
 今日3/12は「松明」の寄進の出発日。まだ夜が明けないうちから一の井の「極楽寺」で奉納の法要を執り行って、暗い道を松明講の人々が肩に担って名張から奈良まで歩いて寄進していく。道程は約40km。昔の人は朝早く出発して、県境の峠を越えて夜には東大寺に到着したのだろうと思いますが、今は県境の峠まで歩いてそこから奈良までバスで運び、再び奈良では東大寺まで徒歩で運ぶことにしています。東大寺には昼ごろに到着します

【「松明」寄進の言い伝え】
名張市赤目町の一ノ井集落にその昔道観長者というのがいた。大病を患い身まかる時に、田地を東大寺に寄進し「その作得(小作米)をもって松明を作り、毎年二月堂修二会に献上せよ」と言い残したことに始まるといわれている。そして、村人は遺言を守って今の世まで750年余りこの行事が続いているということです
 

 今日は、まだ夜が明けきれない早朝からこの行事の取材に行ってきました。松明寄進に当たっての法要から、搬送までの模様をご覧ください(写真はクリックで拡大します)

080312taimatu_hoyo (松明を供えて法要が始まる)

080312taimatu_dokkyo 080312taimatu_shoko 080312taimatu_sanpaisha
(読経)          (焼香)           (一般参加者)

080312taimatu_hono1 (早朝の暗いうちから、松明寄進の出発)

080312taimatu_hono2 080312taimatu_hono3 (肩に担っていざ出発)

080312taimatu_hono4 (極楽寺より集落に向かって歩き始める)

080312taimatu_hono5(集落の細い道を一行は進む)

080312taimatu_hono6 (集落を離れ田園地帯を進む/ようやく空は白んできた)

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2008年2月15日 (金)

蘇民祭騒動関連/三重発版

 今週初めからマスコミで騒ぎ出した、岩手県水沢市の黒石寺「蘇民祭」について、関連することを書かせていただきます。
 岩手県のこの祭り、1000年ほど前からの伝統行事とか、たかが男の裸でこのような騒ぎになるとは、時代も変わったということか、それとも融通がきかなくなった世の中というべきですかね。

 話は、そのことを議論するつもりはありません。この「蘇民祭」の発祥について触れてみたいと思います。「蘇民祭」とは「蘇民将来子孫護符」を持つことで災厄を免れるという信仰から来たことですが、この護符の起こりは三重・伊勢なのです。
このことの言い伝えはホームページ「シニア青年・水無月生」内の「万葉の会・歩き録」/「伊勢の海・答志」ページに記していますが、ここより関連部分を抜粋して、以下に転記いたします。
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答志島まちなかを散策。独特の狭い道筋を歩いて島の風物、情景を見て回った。家々の入口には「蘇民将来子孫家門」の護符のしめ縄が飾られ、また、壁や入り口、船等いたるところに墨で「まるはち」の神紋が書かれているのが興味深い。
【蘇民将来子孫家門】その昔、素盞嗚命(すさのおのみこと)が伊勢の地に旅したとき、貧しい暮らしをしている蘇民の家で一夜の宿の恩を受けた。翌日の出立の時に「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云いて、茅の輪(ちのわ・茅やわらを束ねて作った大きな輪)を以ちて腰に付けたる人は免れなむ」と言って去った。こうしたことからか伊勢では「蘇民将来子孫」と書いた注連縄(しめなわ)を飾ると家中に邪霊が入らないということのようです。
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というようなことで、「蘇民将来子孫」の護符は2000年以上の昔の話が今に至るまで伝わっていることで、その伝統的なものにはそれなりの意味合いがあるということを考えてみたいですね。

このことの起こりにつきまして別の見解をお持ちの方がおられましたら、教えていただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。

(伊勢・答志島の家々の入口に飾られている「蘇民将来子孫」護符のしめ縄 )
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2008年1月10日 (木)

万葉の会・万葉講座

  水無月生、体を悪くして2ヶ月間、活動を停止していたが順調に回復の道を歩んできたことで、いよいよ活動を再開することにした。2008.01.10(木)桔梗が丘公民館サークル活動の「万葉の会・万葉講座」が再開の第1号活動になった
 080110manyokoza_3 「万葉の会」は折にふれてここで記載しているが、定例会は4月から12月までは、各地の万葉歌碑を訪ねてそれに関連する史跡・建造物・文化財を見聞して回っている。そして、1月から3月は公民館での講座となっている
 今年はこの3カ月で「持統天皇の世界」と題して、山田桔梗が丘公民館長から教えを受けることになっている。壬申の乱以降の日本の歴史上で重要な立場にあった、持統天皇とその時代背景、文化、万葉集などについて勉強する
 今日はその第1回目。天智天皇、天武天皇の後を受けて、持統天皇の時代に日本が律令国家として整っていく古代史は、興味余りあるものです

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2007年11月 2日 (金)

正倉院展を鑑賞してきました

 11/2(金)は奈良国立博物館で開催中の「第59回正倉院展」を鑑賞してきました。毎年この展覧会は観に行くようにしています。いつ訪れても天平の品々の素晴らしさには目を見張らされます。今年も興味深く見入ってしまう数々の展示物がたくさんありました。特に次の宝物には大きな興味を覚えました
・墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)…弾弓は元々は玉をはじく武器だったものが、遊び道具に転じたもので、弓に墨絵が描かれています。頭の上にさおを乗せてそのさおに4人の人が登っていく様とか、お手玉遊びや楽団の演奏の様子など唐の時代の民間芸能「散楽」の様子がリアルの描かれています
・紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえこうろ)…手に持って焼香して室内を清める「柄付きの香炉」で紫檀で作られた豪華なものです。香炉と柄には金や水晶を埋め込んだ花とか鳥が描かれています。
 その他数々の宝物がいっぱいで、全部で70点の展示があります。まだご覧になっておられない方は、博物館へぜひ足を運んでください。

 博物館へ向かう途中の道で、奈良公園・飛火野で「南京ハゼ」の美しい紅葉に出会いました。思わず数枚の写真を撮りました。合わせてご覧ください。また、絵かきグループの方が絵を描いていました。帰りにまたそこを通りましたら描き終わったものを並べて出来上がりを確認しておられました。お断りをして写真を撮らせていただきました。

(正倉院展と奈良公園・飛火野の紅葉)
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(正倉院展掲示)

071102shosointen_2(入場するまでの長い列)

071102nara_tobihino(奈良公園・飛火野/南京ハゼの紅葉)

071102nara_tobihino_ekaki(絵描きグループの方が描いた飛火野の作品)

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2007年8月24日 (金)

市民夏期大学第4回目講座

 桔梗丘公民館・市民夏期大学第4回目の講座は8/24(金)13:30~15:30に開催でした。講座のテーマは「テレビ技術の誕生からデジタル放送の時代まで」。
講師:元読売テレビ・放送技術局長 神島 治美氏。
講座参加者:80名
講座の内容は、
・まず通信とはどのように始まったかということで、原始的なものとしての「狼煙(のろし)による通信」、18世紀にナポレオンが活用した「腕木通信」、19世紀になって考案された「モールス通信」などの説明。
・電波の発見から人工衛星を使った現在までに至る放送通信の過程。
・そして、現在日本が進めている「デジタルテレビ放送」が衛星を使った放送から、地上デジタル放送に発展してきた過程。世界のデジタル放送の規格の比較。更に、日本独特の地上デジタルの仕組みと、ワンセグについて。
・これらの進歩によって私達がデジタル放送からどのような恩恵を受けることになるか。

 というようなことを極めてわかりやすく講義していただけました。一般の方にはチョット難しい内容のものもほんの少しはありましたが、時代の先端技術が私たちの生活にどのように便利さをもたらせてくれているかを知っていただけたと思います。熱心に記録をとる方もおられる中、全員の方が講師の話と前面に映し出されるパワーポイント画像に釘付けの1時間30分でした。
 講座終了後は身近な疑問や知りたいことの質問がいくつかなされ、大変盛り上がりのある講座でした。

 実は、今回の講師の神島氏は私・水無月生の大学時代の友人です。そんな関係で、今年の夏期大学の講座の一つを受け持っていただくことをお願いしたという経緯です。本当に、素晴らしい講座で、今年の夏期大学を締めくくれましたことに大きく満足しています。
講師の神島氏には改めてお礼申し上げます。
 また、講座には同じ大学時代の友人二人も聴講に駆けつけてくれました。終わった後は、久しぶりの同期の会を行ったのは勿論です。よもやま話であっという間に時間が過ぎてしまいました。
(以下の講座の写真をご覧ください)
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(公民館玄関の講座案内)

070824_s_colege_2 (講座の開始)

070824_s_colege_3 (講師の神島治美氏)

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2007年8月 5日 (日)

名張市民囲碁大会開催

 毎年行っています「名張市民囲碁大会」を、今年も8/5(日)に桔梗が丘公民館で開催しました。名張市内の公民館でサークル活動をしています「囲碁サークル」が集まって行っている大会です。この囲碁大会は今年で22回目になります。私・水無月生は桔梗が丘公民館で「桔梗が丘囲碁同好会」に所属しています。桔梗が丘囲碁同好会は大会事務局を担当していますので、今年もこの大会の裏方を引き受けています。他の公民館サークルの方々もたくさん手伝っていただけますので、皆さんで協力して今年も無事終了できました。
 今年の大会には61名の参加を得まして、四段以上の「高段者グループ」が3リーグ、「二・三段グループ」が4リーグ、「初段・級位グループ」が4リーグで、それぞれのグループ内で予選リーグ戦を4局の対局を行います。予選を勝ち上がったそれぞれのグループのリーグ1位者で、次に決勝トーナメントを行います。
 今年も1名の少年棋士が参加してくれました、見事、「初段・級位グループ」で4位を獲得しています。
 大会は、朝8:45から受付。9:30より大会開始、17:00過ぎに全てを終了しました。結果は次のようにしています。
 ・高段者グループ:優勝者には優勝カップと副賞、準優勝者、3位には副賞
 ・二・三段グループ:優勝者には優勝カップと副賞、準優勝者、3位、4位には副賞
 ・初段・級位グループ:優勝者には優勝カップと副賞、準優勝者、3位、4位には副賞
     (少年棋士はこのグループで4位、健闘をたたえて努力賞も獲得でした)

 囲碁を楽しんでおられる名張市の公民館サークルの皆さんは、1日をたっぷりと過ごしていただきました。来年もまた、同じ時期に開催する予定です。今年同様多くの方々の参加を期待しています。
・毎年の囲碁大会の状況はホームページ「シニア青年・水無月生」内にある『桔梗が丘囲碁同好会』ページに掲載していますので、こちらもご覧ください。
(名張市民囲碁大会会場風景)
070805siminigo1 (大会全景)

070805siminigo2 (おじいさんを相手に少年棋士の奮闘)

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2007年7月15日 (日)

なつきの「櫻の会ししゅう展」/ホームページにアップしました

 6月に開催しました、なつきの「櫻の会ししゅう展・時の記念日に」を、ホームページにアップしました。
 今年の時の記念日に合わせて2年前から計画を立てて作品作りに励んできました櫻の会の会員の皆さんの晴れの発表会でした。刺繍は時計の文字盤に刺しています。色とりどりの刺繍と時計が21点勢揃いでした。
 刺繍に興味のある方は次からどうぞご覧ください。
なつきの刺繍
展示会20007(時計刺繍展)

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2007年7月13日 (金)

2007年市民夏期大学第1回目

 桔梗丘公民館の2007年市民夏期大学第1回目の講座が本日開講。今日の講座は同じ桔梗丘に在住されていますソプラノ歌手・波多野みち子さんの「ドイツ民謡について」という演題でした。
 波多野みち子さんはウイーン国立音楽大学、ドイツデトモルト国立音楽大学留学。ヨーロッパ各地で多くのコンサート出演、音楽学校講師、コンクール審査員として活躍された方です。
 講演は、「ドイツ民謡」を通じてドイツの季節の移り変わりと四季折々の人々の生活の姿、習慣のお話とそれに密接の結びついている民謡を歌っていただきました。また、子供たちへの家庭教育や学校の情景、働く人の社会システムのお話とその中で歌われる民謡も歌っていただきました。民謡を通じてドイツの人々の生活が大変よくわかり、ドイツ文化に触れることができるひと時でした。
 また、聞かせてもらったドイツ民謡の中に、私たち日本人が子供の頃から歌っている唱歌のいくつかがドイツ民謡だったという新発見をしました。
(ドイツ民謡だった日本の唱歌)
・蝶々・・・ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ なのはにあいたら 桜にとまれ ~
・霞か雲か・・・霞か雲か はた雪か とばかり匂うその花ざかり 百鳥さえも歌うなり
・夜汽車・・・いつもいつも通る夜汽車 静かなひびき聴けば 遠い町を思い出す ~
 この中の「霞か雲か」は明治16年小学唱歌第1号だそうです。

 この後の市民夏期大学講座は次の予定になっています
・7/20(金) 「黒田の悪党」 黒田荘史跡顕彰会 森本弘一氏
・8/3(金)  「介護報告・母と私の5年間」 ジャーナリスト 細身三英子氏
・8/23(金) 「テレビ技術の誕生からデジタル放送の時代まで」 元読売テレビ 神島治美氏

(本日の夏期大学の講座風景写真)
070713summercollege1
【波多野みち子氏の講演】
会場はぎっしり満員でした

070713summercollege2 【ドイツ民謡を歌う波多野みち子氏】
美しいソプラノで歌っていただいています

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2007年6月 6日 (水)

なつきの「櫻の会ししゅう展」

 070606sishu なつきの「櫻の会ししゅう展」が6/5(火)より開催したので、ここでも紹介します。時の記念日に合わせて時計の文字盤に刺繍をした、櫻の会のメンバー19名の作品21点を展示しています。
刺繍展は次の要領で行っています
開催期間:6月5日(火)~19日(火)
  ・・・ 《 休館日は 6/11(月) 6/18(月) 》
開催時間:午前9時30分~午後7時
会場:名張市立図書館 ロビー
    名張市桜ケ丘3088-156
    Tel 0595-63-3260
070606sishu1
070606sishu2

なお、「シニア青年・水無月生」HPの「なつきの刺繍」ページでなつきの刺繍に関することを掲載しています。

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2007年4月 9日 (月)

中学・高校同期会

 2007年4月8日(日)、9日(月)は天理中学・高校の同期会でした。中学卒業後52年、高校卒業後は49年になります。毎年この時期に集まって食事をしたり昔話に花を咲かせたりと楽しい同期会です。この歳になって何年たっても顔を会わせれば、その瞬間から誰もが15歳に戻ってしまいます。卒業後半世紀を過ぎた今になっても、少年少女時代に戻れるというのは実にいいものですね。
 今年は久しぶりに1泊旅行になりました。飛騨髙山です。幹事の企画が最高で、宿は本物の合掌造りの建物のある、「合掌造りと石庭の旅荘・飛騨合掌苑」でした。この宿がまた素晴らしいの一語につきます。先ずは写真をご覧ください。
合わせて、同期会の様子と髙山の町の写真も掲載します。
0409hida1 (この合掌造りは230年前のもので、富山県五箇山から移築したとのこと。移送費用が5億円、再建設費用が46億円をかけて郵政の保養所として建設されたと聞きました。それを2004年8月この宿のオーナーが買い取ったそうです)
0409hida2 (合掌造りの夜景)

0409hida3 (合掌造りの朝)

0409hida4 (合掌造り内の囲炉裏の部屋/朝食後に撮影)

0409hida5 (同期会今年の幹事挨拶)

0409hida6_1 (オーナの社長の歌と奥さんの舞を特別披露して頂きました)
   ・・・格別なる配慮をいただきましてありがとうございました

0409hida7 (同期会宴会風景)

【これ以下は髙山の町の写真】
0409hida8 (宮川朝市)

0409hida9 (櫻山八幡宮・本殿)

0409hida10 (髙山の古い町並み)

0409hida11 (宮川/中橋より写す)

0409hida12 (髙山陣屋)

なお、この髙山につきましての詳しい記事は、ホームページ「シニア青年・水無月生」の5月初めに行います定期更新時にアップする予定です

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2007年4月 5日 (木)

山辺の道

桔梗が丘公民館サークル「万葉の会」は43名の参加の4月例会でした。今月は『山辺の道』を柳本から三輪・金屋まで歩きました。このあたり、『山辺の道』沿いは万葉歌碑のオンパレード。桜の花の下を気持ちよく歩いて、講師の先生の説明を聞かせていただいて、数多くの万葉歌を一つずつみんなで詠って、遥か昔の万葉時代の情景を思い浮かべる楽しい一日でした。
たくさん写真を撮っていますが、ここではそのほんの一部を載せました。その他多くの写真と、詳しい記事は、後ほどホームページ「シニア青年・水無月生」の「万葉の会・歩き録」で掲載いたしますので、こちらの方へのまたのアクセスをお待ちしています。
(桜の枝の向うの「黒塚」)
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(万葉歌碑・崇神陵の東側)
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(大和平野・崇神陵東側より)・・・正面の山は二上山
0405yamanobe3

(満開の桜の下で万葉歌を詠う)・・・初瀬川ほとり/海石榴市(つばいち)0405yamanobe4_1 

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