私の好きな日本の発表…『その3』です。ドキュメンタリー『やまとは国のまほろば』/「神々のおおらかな営み」は、大神神社(おおみわじんじゃ)境内を歩いて再び「ヤマト平野」を望みます。では、その内容をどうぞご覧ください。
(『その1』 『その2』 はこちらよりご覧ください)
【スライドとナレーション/要約】

(スライド1)「巳の神杉」… 拝殿のすぐ横には「巳の神杉」がお祀りされています。
・今も人々はここには神の使いの「白いヘビ」が住んでいると信じ、お参りする人が絶えません。
---巳の神杉のはなし---
・古代の人々は、三輪山には斧入れないで神の宿る森として保存してきました。
・山に立ち昇る霧や雲に神意を感じ、山から流れ出てくる水により農作物を作り、日々の暮らしを潤してもらえたのでした。
・杉の根元には巳さんが住んでいたことから、山内に棲む蛇を神の使いと信じたのでしょう。
・蛇は、水神、雷神でもありますので、人々は農業神、五穀豊穣の神として霊験を感じたことだと思います。

(スライド2)「狭井神社」… 神社境内を奥に入っていきますと、たくさんの摂社が鎮座されている中でも、狭井坐大神荒魂神社(さいにますおおかみあらたま神社)は格別な存在です。
・狭井神社では、無病息災を祈る祭りとして「鎮花祭」が毎年春に催されています。先に話しました崇神天皇の世に蔓延した伝染病を鎮めるために、このお祭りが今の世まで続いています。
・狭井とは「神聖な井戸」のことで、霊泉が湧き出ていまして、「くすり水」として多くの人に利用されています。
・境内には「皇后陛下の御歌歌碑」があります。陛下が大神神社をご参拝され、「歌会始」でお詠いになられています。
---陛下の御歌---
三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めとす 祭りあらむ

(スライド3)「若宮社」… 狭井神社より少し下っていきますと、もう一つ今までの話に結びつく神社があります。
・意富多多泥古命(おおたたねこ)をお祀りする「大直禰子神社(おおたたねこ神社)/若宮社」です。
・崇神天皇の世に流行した伝染病を救うために三輪山に大物主大神を祀る神主になった意富多多泥古を祭神とする神社です。
・「若宮社」の境内にこのような杉の木の幹があります。「おだまき杉」といわれ、大物主大神と活玉依毘売との恋物語にあった、麻糸を巻いた「おだまき」に由来する杉の木です。
・杉の幹が「おだまき」に似ていることからいわれていますが、どうしてこの地にそのような杉の木が生えてきたのでしょうか。
・いろいろの事柄が夢とロマンを秘めて、おおらかな話として伝わってきているというのも楽しいことではありませんか。

(スライド4)「再び大和平野を望む(1)」… 大神神社境内をあとにして、再び大和平野を遠くから望んでみましょう。
・「大神神社の大鳥居」と「耳成山」。向こうの山脈は葛城連山。

(スライド5)「再び大和平野を望む(2)」… さらに視野を広げて眺めますと、左に「天の香具山」、右に「耳成山」、中央に「畝傍山」。こちら側が「三輪山」を背にしています。
・古代の人々より、私たちの現代まで愛され続けてきた、「美しい国・大和の国」がここにあるのです。

(スライド6)「やまとは国のまほろば」… 古の時代よりのどかな風情がただよう私たちの心のふるさと、それが『やまとは国のまほろば』なのです。
この話のまとめとしまして、大和を詠った美しい歌を紹介しましょう。
---やまとたけるの歌---
やまとは国のまほろば たたなづく 青かき山ごもれる やまとし美(うるわ)し ・・・ 《倭建命》
・第12代景行天皇の皇子・倭健命は、天皇の命を受けて東国の荒ぶる神々を平定征服して、その帰りに鈴鹿の山で白いイノシシを神の使いと気が付かずに見過ごしたことから、冷たい氷雨に会って病に倒れました。その時に故郷の大和を想って詠ったのがこの歌でした。
・畝傍山と耳成山、そして葛城連山に並んで遠くに見える二上山。倭健命もきっとこの景色を思い浮かべていたことでしょう。

(スライド7)「わたしの好きな日本」… ここまで「わたしの好きな日本」をご覧いただきました。
・『やまとは国のまほろば』を …… これにて“おしまいにします” ありがとうございました
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