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2012年6月12日 (火)

岡寺駅周辺を歩く(1)…益田岩船編

 6/7(木)は飛鳥の岡寺駅周辺を歩きました。桔梗が丘公民館学習サークル・万葉の会の6月例会でした。この日の参加者は43名、天候は晴れ、近鉄岡寺駅に10:02着。
 そして岡寺駅前を西へすぐ、「牟佐坐(むさにます)神社」へ。境内への鳥居の横にこの日の目的の万葉歌碑が。「柿本人麻呂の妻死(つまみまか)りし後に泣血(いき)ち哀慟(かなし)みて作れる歌」が揮毫されている。全員そろって朗詠。

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(左)【牟佐坐神社】… 壬申の乱で大海人皇子軍が金綱井での戦いの時、高市許梅
(たけちのこめ)に、身狭社(むさ)の生霊神が神がかりして勝利に導いたということでこの地に祀られたという
(右)【柿本人麻呂の万葉歌碑】…「人麻呂の妻死
(つまみまか)りし後に泣血(いき)ち哀慟(かなし)みて作れる歌」
 『わが恋ふる 千重
(ちえ)の一重(ひとえ)も 慰(なぐさ)もる
 
 情(こころ)もありやと 吾妹子(わがもこ)が 止まず出で見し
 軽の市に わが立ち聞けば 球襷
(たまだすき) 畝傍の山に
  鳴く鳥の 声も聞えず 球鉾
(たまほこ)の 道行く人も
   一人だに 似てし行かねば すべをなみ
    妹
(いも)が名喚(なよ)びて 袖そ振りつる』

牟佐坐神社を参拝して、その裏にある沼山古墳へ。そして古墳丘陵内のこの日の二つ目の万葉歌碑、「中大兄皇子の詠んだ大和三山の歌」を再び朗詠。

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(左)【沼山古墳石室の前】… 築造は6世紀後半頃。渡来系東漢氏の族長クラスが眠る奥津城だったようです
(右)【沼山古墳石室内部】…石室は柵で仕切られていて内部は真っ暗。柵の隙間から撮影

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【中大兄皇子の万葉歌碑】…「中大兄皇子の詠んだ大和三山の歌」
  『香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき
     
神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 
      然
(しか)にあれこそ うつせみも
        嬬
(つま)を あらそふらしき』

 その次は、そのまた西の石船山(いわふねやま)へ。木立の覆い繁った林間道を標高130mほど登ると、そこだけが今までの雑木林が竹藪になっていました。その藪に「益田岩船」といわれる巨石が現れたのです。
 この巨石、外回りは格子状に刻んで仕上げた凹凸が、そして頂部はきれいに彫り刻んだ2つの四角い浴槽のような開口部があります。開口は1.6m四方、深さ1.3m。石の大きさは11m×8m×高さ4.7m、推定800トンの造りもの。誰が何の目的で造ったのか、また、どのようにしてこの山に運んだのか、謎はまだ解明されていないそうです。
 飛鳥には「亀石」等の特異な石造物があちこちに見られますが、その中でもこの「益田岩船」は最大の石造物といえます。

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(左)【木立の中、石舩山を登る】
(右)【竹藪内の益田岩船】… 巨石の存在は江戸時代から知られていて、「大和名所図絵」にも描かれている。築造時期や用途も不明

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【益田岩船の側面】…格子状に刻んで仕上げた凹凸がよくわかる

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【益田岩船の頂部】…石の大きさは11m×8m×高さ4.7m、推定800トン。四角い開口は四方が1.6m、深さ1.3m

 益田岩船の規模に圧倒されて、山を下り沼山古墳公園へ。そこで昼食としました。
…… (午後は、岡寺駅東方面の丸山古墳などを見物に行きました。このあと発行の6/19付ブログ「岡寺駅周辺を歩く(2)…丸山古墳編」をご覧ください) ……

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