われらが山田得治先生が揮毫した万葉歌碑を、奈良市菅原町の喜光寺に訪ねました。2011年6月3日(金)は三重県名張市・桔梗が丘公民館の学習サークル「万葉の会」の6月例会で、60名が参加しました。サークルでは各地にある万葉歌碑を訪ね歩いて、歌碑に書かれた万葉歌を朗詠し、その歌の詠まれた背景を学び想像して楽しんでいます。
そして、この日は山田先生が揮毫された万葉歌碑を訪ねた次第です。平成10年3月にこの歌碑は建立されました。歌碑の揮毫は多くは有名な書家によるものですが、この歌碑は一般公募されています。その応募作品115点の中から、われらが山田先生の揮毫が見事に選ばれたのでした。
揮毫の公募に当たっては歌碑に刻まれる文字の書き方には条件があったと聞きました。それは、「誰にでも読める字体であること」「かすれた文字でないこと」等、その他いくつかの要件があって、通常の紙に書く文字とは違った工夫が必要だったそうです。
【歌碑の万葉歌】
大きな海の
水底(みなそこ)ふかく 思いつつ
裳引き(もびき)平(な)らしし 菅原の里
(石川郎女)
・菅原の里は平城京右京三条あたりで、奈良時代の貴族の邸宅があったところ。この歌を詠んだ石川女郎(いらつめ)の家もあったのでしょう。現在の喜光寺のある奈良市菅原町がここになります。
・石川女郎は藤原宿奈麻呂の妻で、夫の愛が薄れて離別。その悲しみをこの歌で詠んでいます。・・・「大きな海の水底のように深く、私の心はあなたへの思いを込めながら、裳の裾を引きずって道が平らになるほど、幾たびも行ったり来たりした菅原の里よ」と。
私たちが喜光寺を訪れましたら、小林副住職が本堂前でにこやかに出迎えてくれました。本堂で「般若心経」の読経のあと、写経道場でお寺の説明と小林副住職の紹介を面白おかしく聞かせてもらって、「実りある未来をつくる心の種まき」というテーマでありがたい説教を聞かせていただきました。
そのあと食事をして、境内の万葉歌碑の前で万葉歌を朗詠して、お寺での有意義な数時間を過ごしました。
(喜光寺について説明)
・行基菩薩によって養老5年(721年)建立、古くは菅原寺と言う。聖武天皇がお寺をご参詣された際、ご本尊より不思議な光明が放たれ、これを喜ばれた天皇は喜光寺と改名されたそうです。後の世に兵火に焼かれ、室町時代に再建。
・住職は、薬師寺・山田法胤管主が兼務。副住職が小林澤應
・写経道場正面壁には名張・夏見廃寺金堂跡ら発掘された塼仏が復元されている
・本尊(重要文化財):阿弥陀如来 脇侍:観自在菩薩と勢至菩薩
・喜光寺の近くには菅原道真を祀る菅原天満宮があり、菅原氏の発祥の地でもある。神社のわきには、道真が産湯を使った池がある
(写真はクリックで拡大します)

【山田先生が揮毫した万葉歌碑】
大きな海の
水底ふかく 思いつつ
裳引き平らしし 菅原の里
(石川郎女)

左:【万葉歌碑の背面】
右:【歌碑の前で、小林副住職と山田先生】

【歌碑の前で】…万葉歌を全員で朗詠したあと、歌碑建立当時の話を聞く

【喜光寺南大門と本堂】…南大門は平成22年落慶。本堂は室町時代のもの(重要文化財)

左:【小林副住職のお出迎え】
右:【本堂でお詣り】…般若心経を読経してもらう

左:【本尊】…阿弥陀如来(重要文化財)
右:【写経道場の正面壁】…名張・夏見廃寺金堂跡から発掘された塼仏が復元されている

左:【菅原天満宮】…平城京右京三条あたりは菅原氏発祥の地
右:【道真産湯の池】…菅原道真公が産湯をつかったという池
最近のコメント