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2008年10月28日 (火)

宇流冨志禰神社の宵宮/三重県名張市より

081027yoimiya_00_uruhusine  10/27は三重県名張市の「宇流冨志禰神社(うるふしね神社)」の宵宮でした。名前が読みにくいということは、歴史のある古い神社ということになります。
 8月にこのブログで記しましたが、名張は畿内の東の端。そして、壬申の乱でご存じの天武天皇の時代には、この地は伊勢への街道の要所として登場してきます。その時代からある神社ですが、戦国時代には織田信長の伊賀攻めで、すべてを焼き尽くされたそうです。その後の名張は、伊勢・伊賀の領主となった藤堂高虎の所領となり、伊勢街道・長谷街道の宿場町として明治まで続くことになります。

 前置きはこれまでにして、「宇流冨志禰神社の宵宮」の話に進みます。名張の街なかの神社の氏子の4つの町が、それぞれ4つの『講』をつくっています。それぞれの講では毎年一つの家が「頭屋(とうや)」として祭りの大きな役割を担うことになります。そして頭屋の中の一つが神の子として祝いを受けることになります。それが「年頭子(ねんどご)」と呼ばれ、祭りの主役を務める神の子として選ばれることになるのです。
 宵宮では、講の人々が御旅所になっている愛宕神社から宇流冨志禰神社までの2kmの道を30分余りかけて巡行します。巡行は「ネンド、ネンド、ゴーエー」と繰り返しくり返し声を掛けながら、松明を先頭にかかげ、年頭子の後ろには裃(かみしも)姿にちょうちんを手に持った人々が100人ほど行列をつくって練り歩くことになるのです。

 今の時代になっても、町の中でこれだけの多くの人が裃姿になってお祝いをすることそのものが珍しいことですし、それぞれの家々で裃(かみしも)と袴(はかま)をこの日のために保管してあることも、素晴らしいことだと思います。このように昔からの伝統を町をあげてしっかり守っていること、そして、この町の人々に根付いていることに、この神社のお祭りの格式を感じた次第でした。

・・・(写真はクリックで拡大します)・・・

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【松明を先頭に集まってくる「頭屋(とうや)」の方々】・・・御旅所の愛宕神社

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左:【御旅所に集まった「頭屋」の方々】・・・これだけ多くの裃姿が集まると壮観です(愛宕神社)
右:【
祝いの酒をいただいている「年頭子(ねんどご)」の家族】・・・愛宕神社

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【獅子舞の奉納】・・・御旅所の愛宕神社

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左:【「年頭子(ねんどご)」を先頭に「宇流冨志禰神社」まで練り歩く「頭屋」の人たち】・・・街なか
右:【子供たちが鐘つきやぐらで、鐘をついて巡行を祝っています】・・・街なか

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左:【町の家々では軒先に提灯をつけ、「年頭子」巡行を祝っています】
右:【格式の高い家の門前の提灯】・・・提灯にも格式が表れています

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左:【一の鳥居】・・・宇流冨志禰神社(うるふしね神社)参道
右:【宵宮の屋台】・・・神社参道を埋め尽くして

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【大篝火(かがりび)の向こうの神社本殿】・・・宇流冨志禰神社

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【大篝火の向こうで、神事を待っている「頭屋」の人たち・・・宇流冨志禰神社拝殿

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【大篝火の勢い強く拝殿の幕が焼けてしまった】・・・宇流冨志禰神社拝殿

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