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2008年9月の7件の記事

2008年9月26日 (金)

6か月ぶりのExcel研修会でした

 6か月ぶりのエクセル研修会を6/25(木)に行いました。以前もこの記事を書きましたが、私たちパソコンインストラクターが集まる会で、お互いの技量向上と情報交換を目的として研修会を行っています。私たちは、富士通ラーニングメディア(株)が認定する「SITA(シニアITアドバイザ)」の資格を持っていて、NPO活動でシニアの方にパソコン指導しています。その集まりの一つであります、「SITAネット東海」が私の所属している会です。このエクセル研修は私・水無月生が講師を担当していますシリーズ講座で、今回は8回目になります。

 エクセルはパソコンを使われている方には、それなりに馴染みの多い表計算ソフトで、いろんな使い方をされていることと思います。そんな中で、いま、私たちが勉強していますのは、「IF関数」を使ったデータ処理です。ご存じの方や実際に使われている方には、大変便利な道具であり興味が尽きない関数だろうと思います。難しい表現をしますと『論理関数』の一つでして、物事やデータを論理的に判断して、情報を整理したりデータ集計したりしてくれます。端的にいえば、どのようなデータであってもその中から、ある条件に入る物事を選別してアウトプットしてくれるのです。

 説明していけば限がありませんので、この辺りにします。エクセルに関心を持って何かしてみたいと思われる方は、「IF関数」をちょっと試してみてください。最初は取っ付きにくいかもしれませんが、少し理解が進めばどんどん興味が深まってくると思います。

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普段は講師も、今日ばかりは真剣に課題に取組み……関数式を作りながら、課題のデータ処理に頑張っていますパソコンインストラクターの方々

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2008年9月19日 (金)

サイゼリヤで昼食/話題の経営を観察しました

「イタリアンカフェ&レストラン・サイゼリヤ」の話です。店の宣伝の片棒を担いでいるわけではありません。先日、見るともなしにテレビのニュース特集を見ていましたら、「サイゼリヤ」のことがドキュメント放送していました。見ているうちに興味が出てきましたのでその話を少し。
 
 この店は通常のファミリーレストランとは異色な存在に気付きました。その違いを列記しますと
(1)製造会社がやっている効率追求を、このような三次産業で徹底して行っている。
(2)店内のパソコンはレジに全て集約。売上計算、給料計算、商品管理を全てを、このレジで行う様に画面構成を設計してソフトを開発している。
(3)厨房は1人で、全てのメニューの供給を処理できるように作業の標準化と単純化をしていて、調理作業はほとんどやらないようにしている。サラダも、工場で調理し店では皿に盛り付けするのみ。新鮮さを保つ工夫が科学的に行われている。・・・その秘密は摂氏4度の管理とのこと。その他の料理も同様に美味しさの工夫が論理的に施されている
(4)店内従業員の数も極めて少ない。
・その他まだまだありましたが、それは省略とします。

そんなことで、今日の昼ごはんはサイゼリヤということで、家族で出かけました。12:30に店に入ると、4人掛けテーブルは40席ほどで、50%程度の客の入り。しかし店員は店長と女の子1人。多少は待たされるが、処理は迅速だったし、接客態度も爽やか。レジもこの二人で適宜やっている。
肝心の味なのだが、まったく問題なし。飛び切り美味しいわけではないが、まずいとは何ら感じないし、むしろ、これなら美味しい方の上々の部類にしてもいいと思いました。
それから値段は、格安そのもの。あとの写真とメニューをご覧になればお分かりいただけると思います。3人で食べて、1,997円でした。

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私の食べた「半熟卵ミラノドリアセット」サラダ付、飲み放題のドリンクバー付。600円

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(左)女房が食べた「ほたてときのこのクリームスパゲティ」499円
(右)娘が食べた「カルボナーラ」499円

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(左)皆で一緒に食べた「マルゲリータ・ピザ」399円
(右)フリードリンクの「コーヒー」0円

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今日でちょうど9ヶ月を迎える孫娘。まだ離乳食なので、店のテーブルには座っただけのおまけの写真です

このブログをお読みになられた方、どんなファミリーレストランか、一度お試しになってみてください。

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2008年9月12日 (金)

畿内西端より大和島へ向かう(万葉の会9月例会/第5報-最終報)

 080904_5_akasi_yamatojima_return_in 畿内の西端・明石の第5報/最終報は「畿内西端・明石より大和島へ向かう」です。畿内の西端より東の端の名張へ向かって一路帰途につきました。
 明石・魚の棚(うおんたな)を後にしてバスは第2神明道路をひた走り。その昔であれば難波の津に向かって艪がしなるというのでしょうか。多分その時代なら左は麻耶・六甲山が、右は紀伊水道の海原、前方は難波の津がはるかにかすんで見えてくる。そのまた前方には大和島の生駒・信貴連山が大きく目に入ってくる。
 しかし、今の私たちに見えるのは高速道路の路面と、前方と左右はビルばかり。大和島なんかどこにあるのやらという、まったく風情のない景色です。昔の姿は地理を頭に浮かべて想像するのみ。

 バスはビルばかりの中を縫うように進んで、難波の都の大阪市内へ。まだ大和の山々は見えないが、道路は間違いなく東の方向を目指して伸びている。難波から河内に出てきましたら、見えました、見えました、大和島の風景が。狭いバスの窓から建物ばかりが立ち並ぶその上に。走っているのは西名阪道、その当時なら「竹内街道」になるでしょう。頭の中は邪魔ものになる余分なものを排除して、昔の人が眺めた当時の景観を思い巡らしました。

---天離る(あまざかる) (ひな)の長通(ながち)
    
恋ひ来れば 明石の門(と)より
               大和島見ゆ
---
                        (柿本人麻呂)
★都から遠い地方より戻ってくる長い道で、みやこを恋しく思いながらやってくると、明石海峡からは懐かしい大和の山々が見えてきた

 畿内の東の端・名張を朝出発して畿内西端の明石へ。明石のいろいろを見て回り、夕方には再び畿内東端へ戻ってきました。私たちは日帰り旅行でしたが、その当時の人なら何日間だったでしょうか。往復の日数と滞在を含めると、1週間余りは優に必要だったのではないかと思います。

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左:第2神明道路をバスはひた走りに走る
右:
大阪市内環状線】…さしずめ難波の都の大通りになるのだろうか

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左:【通天閣】…市内環状線より写す。その当時なら、大阪湾を見通して、外敵を警戒するための「見張り台」には格好のやぐらになるだろうに思いました
右:【西名阪道】…昔は明日香へ向かう「竹内街道」。現代は高速道路で。正面に二上山が見えてきた

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【大和島(1)・生駒連山】…バスの窓から見えました大和島が。どうぞ余分なものは排除して、大和島を想像してください

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【大和島(2)・二上山と金剛山】…飛鳥時代に竹内街道を通って飛鳥の都に向った人も、この景色を眺めていたことでしょう

これにて、「畿内北端・名張より西端・明石を訪ねて」の5回シリーズはお終いです。ありがとうございました。

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2008年9月10日 (水)

明石・魚の棚を散策(万葉の会9月例会/第4報)

 080904_4_akasi_uontana_street_00 畿内の西端・明石の第4報は「明石・魚の棚(うおんたな)を散策」です。柿本神社で人麻呂の万葉歌を詠った後は、明石の街中へ進みました。明石と言えば「魚」。その魚たちは「タコ」「鯛」「あなご」「アジ」等などですが、それらの魚が朝の漁で獲れたまま昼には『ひる網』といって、活きのいいままに店頭に並ぶので有名。その魚を売る店が軒を連ねているのが『魚の棚(「うおんたな」と言うそうです)』です。

 店頭から道まではみ出してこの新鮮な魚をたくさん並べられたのを見ながら、威勢のいい掛け声のおじさんやおばさんの声を聞きながらしばし街中を散策しました。値段は結構安いようです。私はその安さがわからないので、一緒にきたグループの女の人に聞きました。
掛け声につられてついつい買う気になってしまったのですが、何を買ったらいいか分からず、女房に電話しました。そして、帰宅までの時間を考えて干し魚にしろとの指示があり、アジの干物、ちりめんじゃこ、ウルメの干物になりました。

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【魚の棚(うおんたな)の賑わい】…第1報でも触れましたように、宮本武蔵が設計した明石の町割りで、魚屋が整然と並ぶ町を作ったのがいまもそのまま残り、活況を呈しています

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左:【ひる網のタコ】店先で生そのままで売っています。一旦茹でて赤くなったタコを見慣れていますので、こんな色かと思いました
右:【魚いろいろ】どの魚もいかがですか、値段は安いですか

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【明石鯛】…“この鯛は明石で獲れた顔”をしていますか?!!!!。どうか、この明石の鯛の顔ををしっかりと覚えてください

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【干しダコ】…まるで置物か壁掛けの飾り物のようです

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左:【ちりめんじゃこ】…これを300g買いました
右:【ウルメの丸干し】…これも買いました

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【アジの干物】…これも4匹買いました。この日の夕食はこのアジの干物。1匹でお腹はいっぱいになりました。本当に『味』のいい『アジ』でした。

(次回は最終編。「明石より大和島へ向かう」です。よろしく)

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2008年9月 8日 (月)

明石で人麻呂の万葉歌を詠う(万葉の会9月例会/第3報)

 畿内の西端・明石の「万葉の会9月例会/第3報」は『明石で柿本人麻呂の万葉歌を詠う』です。東経135度子午線上を歩いて、この日の本来の目的であります明石を詠んだ柿本人麻呂の万葉歌碑を訪ねました。
●まず最初は「月照寺」をご覧ください

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左:【月照寺山門と明石天文科学館塔】…400年前の建物と現代科学を表す塔のコントラスト
・月照寺山門は1593年(文禄3)京都伏見城の薬医門として建られ、後にこの地に移築したもの
右:【月照寺】…江戸時代初期に元は明石城のところにあったが、城の建設により移築された


●最初の柿本人麻呂の万葉歌碑は「月照寺」の「山門」前にあります

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---ともしびの明石 大門に入らむ日や
       漕ぎ別れなむ 家のあたりみず
---
                   (柿本人麻呂)

●この歌をみんなで揃って朗詠したあと、月照寺をお参りしてその次は、「柿本神社」へ。

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左:【柿本神社/鳥居】…この付近が人麻呂生誕地と伝えらている。そして、石見(いわみ)で没している
右:【柿本神社社殿】

●神社境内には万葉歌碑が4基据えられています。そのうちの三つを紹介します

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---天離る(あまざかる) 夷の長通ゆ
    恋ひ来れば
       明石の門より 大和島見ゆ
---
                        (柿本人麻呂)

・ここで詠っている「大和島」とは、瀬戸内の明石海峡から難波の津(大阪)を見た時に大和の生駒・葛城連山があたかも大きな島のように見えることからの情景です。
・その当時、西海道(今の九州)へ赴いた人や、防人として出兵した人が、故郷へ戻ってくるときに瀬戸内海を通って明石まで来て、大和島が見えるということは本当に故郷へ帰ってきたという実感を抱いたことだろうと思います。
・そのような人々が恋い焦がれていた故郷はもうすぐだと、舟の上で小躍りしている情景が目に浮かぶような歌だと感じ取れます。

080904_3_akasi_hitomaro_kahi2 080904_3_akasi_hitomaro_kahi3

---大君は 神にしませば あまくもの
       雷の上に いほりせるかも
---

---あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の
      ながながし夜を ひとりかも寝む
---
                     (柿本人麻呂)
                     

今回の投稿が、「畿内の西端・明石」の山場になります。この後は「明石の街中散策」と「畿内の東端」への帰路の報告になります。残り2回も引き続きよろしくお願いいたします。

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2008年9月 6日 (土)

東経135度子午線上を歩く(万葉の会9月例会/第2報)

畿内の西端・明石の「万葉の会9月例会/第2報」は『東経135度子午線上を歩く』です。
 080904_2_akasi_tenmontower 日本の標準時間は明石を通る東経135度を基準としていることは、どなたもご存じのこと。そして同じく世界の標準時間はロンドンの「グリニッチ天文台」の位置が緯度0度として定められていることもご存じの事柄。
そのようなことから、日本はロンドンよりも9時間早い時間となっています。日本が夜明けになったときでも、イギリスやヨーロッパはまだ前日の深夜近くということになります。

ここまでの話はどなたもご存じのことですが、これからの話は私の雑感です。少し長くなりますが、どうかお付き合いのほどを。

(その1)むかし「80日間世界一周」という映画をご覧になられた方はたくさんおられることと思います。1872年イギリスの貴族が世界を80日間で一周することの賭けをして東回りで出発。途中の国々の面白い出来事は、この時代はイギリスが世界中に勢力圏を持っていたことがよくわかります。横浜にも立ち寄るシーンがあったのが記憶に残っている。ちょうど明治の初めの日本になる。そして太平洋を渡りアメリカ経由でロンドンに帰着。ちょうど80日目で戻ってきたが、思わぬトラブルで1日ロスをして結局81日になってしまったが、実質は80日であったので賭けに勝ったことになる、という映画でしたね。
この謎、皆さん既にお分かりでしょうが、旅行中は毎日時差があったということですね。つまり東回りなので80日間で1日分のマイナス時差が。そんなことで、この主人公は80日間を毎日を1日当たり23時間42分で過ごしていたことになるのですね。

(その2)
今の時代、誰でもが海外旅行で経験する時差。英語では「ジエットラグ」と言いますが、まさにジエット機に乗るからこそ急激な時差に見舞われる。先の主人公は毎日18分間の時差であったので全く気付かないが、私たちは1日のうちに数時間の時差はあっという間ですね。
私の時差経験で強烈なものを紹介します。ヨーロッパへの便が、まだ北周りをとっていた1980年代前半のこと。成田を夜9時頃出発して、アラスカのアンカレッジで給油の為いったん降ります。アンカレッジは前日の朝です。再び搭乗してすぐ朝食、北極の上を飛んであっという間に日が暮れて、昼食をとばしてもう夕食です。目が覚めてしばらくしたばかりなのに、窓は閉まるし照明も消えて無理やり寝なければならない。そうこうしていたら、コペンハーゲンやアムステルダムに到着は朝。成田を出発して2回目の朝でした。この間の所要時間ははっきりと覚えていませんが13時間ほどでした。この辛さこの年代に2回味わいました。
こんな経験はその当時に海外出張された方には当たり前でしたと思いますが、いかがだったでしょうか。お互いに、つらいジエットラグでしたね。

---【明石の子午線に関する写真を紹介します】 ---
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【明石市立天文科学館】…天文塔が東経135度の子午線上に建てられている

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:【子午線標示柱(トンボの標識)】…天文科学館の北側の東経135度線上。標識の向こうに見えるのが天文科学館
:【日本標準時子午線通過地の標柱】…「大日本中央標準時子午線通過識標」と書かれている。の本では1888年(明治21)に日本標準時が定められ、この標注は1910年(明治42)に明石の小学校の教員がお金を出し合って建設しています。この当時の先生は裕福だったのですね。

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【子午線交番】…子午線上にある「大蔵交番」。交番が天文科学館に似せて建てられています

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【日時計(明石城内)】

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:【日時計(月照寺境内)】
:【子午線せんべい】…町のお菓子屋さんで売られている。明石の街は子午線一色といってもいいくらいです

では、次の投稿でまたお会いしましょう。

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2008年9月 5日 (金)

畿内の東端から西端へ(万葉の会9月例会/第1報)

9/4(木)は「万葉の会」9月例会でした。参加者54名で、三重県名張から兵庫県明石へ行ってきました。
080904_1_akasi_start 名張は「畿内の東の端」そして明石は「畿内の西の端」です。総距離は140km、バスで2.5時間の行程です。
「畿内」とは、ご存知の方が多いのですが、その範囲は案外知られていないですので少し紹介します。「畿内の東の端」は名張市の名張川なのです。大和時代には『東は名墾(名張)の横河』、『西は赤石(明石)の櫛淵』と定められました。
大昔の人がこの距離を山川を越えて歩けば3日はたっぷりとかかったのではないかと思いますが、それを想像しながらのバスの旅をしました。
参考として「北の端は」近江の逢坂山、「南の端」は紀伊の兄山(紀ノ川中流)。

明石では、明石城-文化博物館-月照寺-子午線標柱-柿本神社-魚の棚を見て回りました。
それぞれの事柄はまた別の日に掲載します。今日のところはその手始めの写真8枚をご覧ください。

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【明石城】…巽櫓(南東側)、坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)。天守閣は建てられなかったそうです

080904_1_akasi_museum 080904_1_akasi_musasi
:【明石市立文化博物館】
:【宮本武蔵(明石市文化博物館)】…城内の庭園や城下の町割りは武蔵の設計によるとのこと

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アカシゾウ(明石市文化博物館)】…明石で発見されたゾウの化石。200万年前から60万年前ごろまで日本で生息していたらしい。アジアの今の象よりは小さく、絶滅している種

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【明石市街】…宮本武蔵が町割り設計したした現在の明石市街。左に明石大橋が見える

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:【源平合戦「両馬川旧跡」】…一の谷の合戦ののち、ここまで落ち延びた薩摩守忠度が岡部六弥太と戦ったところ。今は山陽電車のガードの下
:【妙見社】…下の写真の面白い川柳句碑のあったお寺

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【明石鯛の川柳句碑】…今の食品偽装の時世を反映していて面白い川柳です。
---どの鯛も 明石で獲れた 顔をする---(助六)
・今も昔もすること考えることは同じようですね

ではまた、次の投稿でお会いしましょう。

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