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2008年9月12日 (金)

畿内西端より大和島へ向かう(万葉の会9月例会/第5報-最終報)

 080904_5_akasi_yamatojima_return_in 畿内の西端・明石の第5報/最終報は「畿内西端・明石より大和島へ向かう」です。畿内の西端より東の端の名張へ向かって一路帰途につきました。
 明石・魚の棚(うおんたな)を後にしてバスは第2神明道路をひた走り。その昔であれば難波の津に向かって艪がしなるというのでしょうか。多分その時代なら左は麻耶・六甲山が、右は紀伊水道の海原、前方は難波の津がはるかにかすんで見えてくる。そのまた前方には大和島の生駒・信貴連山が大きく目に入ってくる。
 しかし、今の私たちに見えるのは高速道路の路面と、前方と左右はビルばかり。大和島なんかどこにあるのやらという、まったく風情のない景色です。昔の姿は地理を頭に浮かべて想像するのみ。

 バスはビルばかりの中を縫うように進んで、難波の都の大阪市内へ。まだ大和の山々は見えないが、道路は間違いなく東の方向を目指して伸びている。難波から河内に出てきましたら、見えました、見えました、大和島の風景が。狭いバスの窓から建物ばかりが立ち並ぶその上に。走っているのは西名阪道、その当時なら「竹内街道」になるでしょう。頭の中は邪魔ものになる余分なものを排除して、昔の人が眺めた当時の景観を思い巡らしました。

---天離る(あまざかる) (ひな)の長通(ながち)
    
恋ひ来れば 明石の門(と)より
               大和島見ゆ
---
                        (柿本人麻呂)
★都から遠い地方より戻ってくる長い道で、みやこを恋しく思いながらやってくると、明石海峡からは懐かしい大和の山々が見えてきた

 畿内の東の端・名張を朝出発して畿内西端の明石へ。明石のいろいろを見て回り、夕方には再び畿内東端へ戻ってきました。私たちは日帰り旅行でしたが、その当時の人なら何日間だったでしょうか。往復の日数と滞在を含めると、1週間余りは優に必要だったのではないかと思います。

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左:第2神明道路をバスはひた走りに走る
右:
大阪市内環状線】…さしずめ難波の都の大通りになるのだろうか

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左:【通天閣】…市内環状線より写す。その当時なら、大阪湾を見通して、外敵を警戒するための「見張り台」には格好のやぐらになるだろうに思いました
右:【西名阪道】…昔は明日香へ向かう「竹内街道」。現代は高速道路で。正面に二上山が見えてきた

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【大和島(1)・生駒連山】…バスの窓から見えました大和島が。どうぞ余分なものは排除して、大和島を想像してください

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【大和島(2)・二上山と金剛山】…飛鳥時代に竹内街道を通って飛鳥の都に向った人も、この景色を眺めていたことでしょう

これにて、「畿内北端・名張より西端・明石を訪ねて」の5回シリーズはお終いです。ありがとうございました。

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コメント

目樽工房さん
瀬戸内海から日本海へ転身でしたか。小浜はまだ行ったことがありませんので、機会を見つけて訪ねたいです。

投稿: 水無月生 | 2008年9月15日 (月) 20時40分

先週同じ日に明石「魚棚」から「たこフェリー」に乗船して明石海峡のドライブを計画してましたが、急遽「鯖街道」小浜若狭にに変更しました。もし明石ならお逢いしてましたなあ!
でも楽しい写真拝見しました。
「明石焼き」たこ焼きは魚棚商店街の中に数軒ありますが値段色々でっせ!

投稿: 「目樽工房」 | 2008年9月15日 (月) 05時05分

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